トルコの政治家アフメト・ダウトオールAhmet Davuto?lu
生年月日 (1959-02-26) 1959年2月26日(65歳)
出生地 トルコ コンヤ県
出身校ボアズィチ大学
所属政党(公正発展党→)
未来党
アフメト・ダウトオール(アフメット・ダーヴトオール、トルコ語: Ahmet Davuto?lu、1959年2月26日[1] -)は、トルコの学者、政治家。現在、未来党(英語版)党首。同国首相、公正発展党党首を歴任した。ダウトオウルとも表記される。 1959年2月26日にコンヤ県に誕生する。1983年にボアズィチ大学政治学部・経済学部を卒業し、後に同大学で行政学修士号と政治学博士号取得。同大学ではトゥルグト・オザルの顧問でもあった著名なトルコ学者で中国学者のディミトリー・キツィキスの講義を受けたことは後の外交政策に影響を与えたとされる[2][3]。1990年、マレーシア国際イスラーム大学
経歴
2002年11月に外交担当の首相主席顧問に任命され、2009年5月1日には外務大臣に就任した[5]。同年10月のアルメニアとの国交回復においてはその立役者と言われる[4]。また、2011年のトルコ大国民議会選挙ではコンヤ選挙区から立候補して当選し、議員ともなっている。
2014年の大統領選挙で当選したレジェップ・タイイップ・エルドアンより後継の公正発展党党首に指名され、同年8月27日の臨時党大会で党首に選出された[6]。翌8月28日エルドアン首相が大統領に就任し、後任の首相となった。
2015年秋ごろより大統領権限を強化する憲法改正をめぐってエルドアン大統領と対立するようになり、2016年5月5日に首相と公正発展党党首を辞任すると表明した[7][8]。その後は公正発展党にいながらエルドアン政権に対する批判を強め、2019年12月12日に自らが党首となった新党・未来党(英語版)の結成を内務省に届け出、翌13日に正式発表した[9][10]。 家族は妻及び5人の子。母語に加えアラビア語・英語・ドイツ語を話す[1]。 2011年11月に発表されたアメリカの『フォーリンポリシー』誌「世界の思索家100人」に選ばれている[11]。
人物
著書
Stratejik Derinlik: Turkiye'nin Uluslararas? Konumu(Kure Yay?nlar?, 2001, 2011)
『文明の交差点の地政学――トルコ革新外交のグランドプラン』書肆心水、2020年、ISBN 4910213090
中田考監訳、中田考、メフメト・ファーティヒ本田恭介、久間達也訳
脚注^ a b c “ ⇒Ahmet Davutoglu / Rep. of Turkey Ministry of Foreign Affairs”. Turkey Ministry of Foreign Affairs. 2012年10月7日閲覧。
^ S?tk? Ozcan, "Davuto?lu'nun hocasi ?okta", Zaman, 17 December 2014
^ Gilles Bertrand, ≪Turquie: dix ans apres l'arrivee au pouvoir de l'AKP≫, 12e congres de l'Association francaise de science politique, July 2013, Paris, France, see pp. 8-11
^ a b 現代外国人名録2016. “アフメト ダウトオールとは
^ ウェンディ・クリスチャナセン(ル・モンド・ディプロマティーク日本語版編集部訳). “ ⇒トルコ外交の新たな展開”. ル・モンド・ディプロマティーク日本語版. 2012年10月7日閲覧。
^ “トルコ与党党首にダウトオール氏 新首相に就任へ”. 日本経済新聞. (2014年8月28日). https://www.nikkei.com/article/DGXLASGM28012_Y4A820C1EAF000/ 2014年8月29日閲覧。
^ “トルコ首相が辞意表明、党首選も出馬せず?大統領との権力闘争に敗北”. bloomberg.co.jp (ブルームバーグ). (2016年5月5日). https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2016-05-05/O6PFK96KLVRA01 2016年5月5日閲覧。
^ “トルコ首相、辞任表明…大統領との確執取りざた”. 読売新聞. (2016年5月5日). https://web.archive.org/web/20160505135659/http://www.yomiuri.co.jp/world/20160505-OYT1T50085.html 2016年5月5日閲覧。