アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー
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Ahmad ibn Ibrihim al-Ghazi
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ソマリアの首都モガディシュに置かれたアル=ガジーの像
生年1507年
没年1543年2月21日
信教イスラーム教
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アフマド・イブン・イブリヒム・アル=ガジー(アラビア語: ???? ?? ??????? ?? ????‎, Ahmad ibn Ibrihim al-Ghazi, 1507年頃 - 1543年2月21日[1])は、現在のエチオピア東部からソマリア北西部にあった「アダル・スルタン国」のイマーム将軍。アダル・スルタン国を乗っ取り、さらにはオスマン帝国の助けを借りて隣国のエチオピア軍を破り[1]、一時期エチオピア高原を支配下に置いた。まもなくポルトガルの援助を受けたエチオピア軍の反撃を受け、1543年に戦死。

「ガジー」は「戦う者」を意味するアラビア語であり、名の意味は「異教徒と戦う者、イブリヒムの息子アフマド」である。アフマドはソマリ人だったともオロモ人だったとも言われているが、その部下のほとんどはソマリ人であった[2]。アフマドは「左利き」の渾名を持っており、ソマリ語でグレイ(Gurey)、アムハラ語でグラン(??? Grann)と呼ばれた。
出生

アフマドはソマリ族だったと考える学者が多い[1][3][4][5][6][7][8][9][10]。もっとも、エチオピアの史書にはアラブ人と記録されている[3]。また、アフマドに従ったソマリ族であるイサック氏族のハバー・マガドル、ダロッド氏族のハルティ、マレハン(英語版)の戦士はソマリ族としてではなく、キリスト教国エチオピアと戦うムスリム(イスラーム教徒)として戦っており、彼らにとって人種の違いはあまり重要ではなかったと思われる[11]
生涯
若き日

アフマドはアダル・スルタン国の港町で生まれ、大人になってゼイラの領主マファズ(英語版)の娘バティ・デル・ワムバラと結婚した[7]。バティは後のエチオピア攻略にも従軍している。義父マファズは1517年のエチオピア軍の攻撃によりすでに戦死しており、アダル・スルタン国自体も混乱状態になっていた。
エチオピア攻略開始詳細は「en:Ethiopian-Adal War」を参照

アフマドはアダルの軍をまとめ直し、アダル・スルタン国の首都をアダルからハラールに移した。1528年にエチオピアの将軍デガルハンの攻撃を退け、翌1529年には逆にエチオピアに侵攻した。そして3月、シムブラ・クレの戦い(英語版)においてエチオピア皇帝ダウィト2世(英語版)自ら率いる軍を破った[12]

アフマドのエチオピア高原での活動記録はイスラーム側、エチオピア側、双方に残されている。アフマドは1531年、軍をエチオピア北部に進めた。ハイク湖(英語版)の修道院やラリベラの教会では略奪を行い、10月28日のアムバ・セルの戦い(英語版)でもエチオピア軍に勝利した。アスクム手前のティグレイ(英語版)でも戦闘になり、エチオピア軍を破った。アクスムに着くと、代々エチオピア皇帝の戴冠式が行われてきたシオンのマリア教会(英語版)を破壊した。
ジャルテ・ウォフラでの勝利.mw-parser-output .locmap .od{position:absolute}.mw-parser-output .locmap .id{position:absolute;line-height:0}.mw-parser-output .locmap .l0{font-size:0;position:absolute}.mw-parser-output .locmap .pv{line-height:110%;position:absolute;text-align:center}.mw-parser-output .locmap .pl{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:right}.mw-parser-output .locmap .pr{line-height:110%;position:absolute;top:-0.75em;text-align:left}.mw-parser-output .locmap .pv>div{display:inline;padding:1px}.mw-parser-output .locmap .pl>div{display:inline;padding:1px;float:right}.mw-parser-output .locmap .pr>div{display:inline;padding:1px;float:left}シェワハラールアムバ・セルハイク湖アクスムマッサワタナ湖シムブラ・クレウォフラゼイラ 関連地図(国境は現在のもの)


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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