アフガン難民(あふがん なんみん)とは、アフガニスタン紛争などを避けるためにアフガニスタンから国外に逃れた人々のことである。2014年現在はイランやパキスタンを中心に259万人の難民が居り、総数で世界第2位の座を占めている[1]。アフガニスタン難民とも呼ばれる。
アフガニスタン国内に留まる国内避難民も「アフガン難民」と呼んで間違いではないが、一般には国外に逃れた人達を指すことが多い。 最初にアフガン難民が問題になったのは、1979年12月のソ連軍によるアフガニスタン侵攻の頃である。最初に60万人の難民が発生し[2]、1990年までにパキスタンに330万人、イランに300万人が避難した[2]。欧米各国はパキスタンのアフガン難民支援のために1979年から約20年間で10億ドル以上の資金を提供し[3]、パキスタンにはシャムシャトゥ・キャンプ
ソ連軍のアフガニスタン侵攻
1992年に誕生した人民民主党政権はすぐに瓦解し、その後10年間内戦が続いた。1990年時点でパキスタンとイランに630万人の難民が居たが[2]、1992年にパキスタンから127万人、1993年にイランから60万人の難民が帰還し[3]、2001年までに460万人が帰還した[2]。
2000年代前半パキスタンからカブールに到着した難民(2004年)
2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が発生し、多国籍軍がアフガニスタンに侵攻した(アフガニスタン紛争 (2001年-2021年))。アフガン難民は9月10日時点でパキスタンに200万人、イランに150万人、その他周辺諸国に46万人の難民が居り、国内難民も96万人存在したが[7]、新たな戦乱により年末までにパキスタンに500万人、イランに240万人に増加した[要出典]。アフガン難民は世界各地に保護を求め、2001年の申請者数は5万人を超えた[8]。8月には難民船がオーストラリアに受け入れを迫り(タンパ号事件)、日本に対しても78人が難民申請を行った[9]。
国連は11月14日に国際連合安全保障理事会決議1378
を決議し、難民の帰還促進支援を行うことにした。2002年1月、東京でアフガン復興支援国際会議が開催され、難民・避難民の再定住などに対して資金援助を行うことにした[10]。その後日本は2011年末までにアフガニスタンに対して総額約33億ドルの資金援助を行った[11]。しかし日本はアフガン難民の受け入れには消極的で、1999年からの3年間で132人のアフガン難民が難民申請を行ったにもかかわらず、難民認定したのは9人だけだった[9]。在留特別許可ですら厳しく、1999年からの3年間で17人しか受ける事が出来なかった[12]。アフガン難民の中にはアリ・ジャンやアブドル・バセルのように難民不認定処分の取消しを求めて訴訟を行う者も居たが、なかなか上手く行かなかった[13][14][15]。同年8月、在留特別許可で日本に滞在していたアフガン難民のユノス・タヒリが妻子の空爆死を知って自殺した[16]。その後2003年までにパキスタンから約190万人のアフガン難民が帰還した[17]。2004年、パキスタン政府は治安上の理由[18]により難民キャンプの閉鎖を始めた。