アファ・アノアイ
プロフィール
リングネームアファ
アファ・ザ・ワイルド・サモアン
ワイルド・サモアン・アファ
ワイルド・サモアン1号
本名アーサー・アノアイ・シニア
ニックネーム南海の獣人
身長188cm
体重137kg(全盛時)
誕生日 (1942-11-21) 1942年11月21日(81歳)
出身地 アメリカ領サモア
トレーナーピーター・メイビア
ロッキー・ジョンソン
カール・フォン・スタイガー
デビュー1971年
引退1994年
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アファ・アノアイ(Arthur "Afa" Anoa'i, Sr.、1942年11月21日 - )は、アメリカ合衆国の元プロレスラー。アメリカ領の東サモア諸島出身。
アノアイ・ファミリーの総帥であり、弟のシカ・アノアイとのタッグチーム、ワイルド・サモアンズ(The Wild Samoans)での活動で知られる。1980年代の新日本プロレスにワイルド・サモアンのリングネームで度々来日したサムラ・アノアイと、WWEでレガシーのメンバーだったマヌーことアファ・アノアイ・ジュニアの父親[1][2]。CWCに出場するショーン・マルタ
(英語版)は甥[3]。また、ゲーリー・オブライトは義理の息子(オブライトの妻がアファの娘)である。孫はランス・アノアイ[4]。少年時代に一家でカリフォルニア州サンフランシスコに移住し、17歳でアメリカ海兵隊に入隊[5]。除隊後、遠戚関係にある同じサモア系アメリカ人のピーター・メイビアのトレーニングを受け[6]、1971年にプロレスラーとしてデビュー[7]。
アリゾナをサーキットした後、スチュ・ハートの主宰するカナダ・カルガリーのスタンピード・レスリングにて弟のシカ・アノアイとザ・サモアンズを結成。以降ジ・アイランダーズおよびワイルド・サモアンズの名義で1973年から1984年にかけて、デトロイト、アラバマ、テネシー、ルイジアナ、ジョージア、ニューヨークなど全米の主要テリトリーを転戦し、各地のタッグ王座を再三獲得した。日本には、国際プロレスに3回、新日本プロレスに2回来日している。詳細は「ワイルド・サモアンズ」を参照
シングルでは1980年4月21日、ニューヨークのマディソン・スクエア・ガーデンにおいてボブ・バックランドのWWFヘビー級王座に挑戦[8]。1985年にシカとのフルタイムのチームを解散し、セミリタイア後の1992年から1994年までは、WWFにて息子のサムゥと甥のファトゥのザ・ヘッドシュリンカーズのマネージャーを務め[9]、同じく甥にあたるヨコズナとも共闘した。
引退後はペンシルベニア州アレンタウンにプロレスラー養成所「ワイルド・サモアン・トレーニング・センター」を開設。ビリー・キッドマン、ジーン・スニツキー、バティスタ、甥のエディ・ファトゥ(ウマガ)、マット・アノアイ(ロージー)、ジョー・アノアイ(ロマン・レインズ)などを輩出した。また、1996年よりインディー団体のWXW(World Xtreme Wrestling
)を主宰している。2007年にはシカと共にWWE殿堂に迎えられ、サムゥとロージーが彼らのインダクターを務めた。 スタンピード・レスリング NWAデトロイト NWAオールスター・レスリング ガルフ・コースト・チャンピオンシップ・レスリング ジョージア・チャンピオンシップ・レスリング インターナショナル・レスリング・エンタープライズ ミッドサウス・レスリング・アソシエーション
得意技
サモアン・ドロップ(Samoan Drop)
ヘッドバット
バックハンド・チョップ
クロー・ホールド
獲得タイトル
インターナショナル・タッグ王座(カルガリー版):2回(w / シカ・アノアイ)[10]
NWA世界タッグ王座(デトロイト版):2回(w / シカ・アノアイ)[11]
NWAカナディアン・タッグ王座(バンクーバー版):1回(w / シカ・アノアイ)[12]
NWAガルフ・コースト・タッグ王座:2回(w / シカ・アノアイ)[13]
NWAナショナル・タッグ王座:1回(w / シカ・アノアイ)[14]
IWA世界タッグ王座:1回(w / シカ・アノアイ)[15]
ミッドサウス・タッグ王座:3回(w / シカ・アノアイ)[16]