アビンドン伯爵
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アビンドン伯爵
Earl of Abingdon
リンジー伯爵
Earl of Lindsey

紋章記述Arms:Argent three Battering Rams fesswise in pale proper beaded armed and garnished Azure.Crest:A Saracen's Head affrontee couped at the shoulders proper ducally crowned Or and charged on the chest with a Fret Azure.Supporters:Dexter: a Friar habited in russet-grey with a Crutch and Rosary all proper and charged on the breast with a Fret Azure; Sinister: a Savage proper wreathed about the temples and waist with Oak Leaves Vert and likewise charged on the breast with a Fret Azure
創設時期1682年11月30日
創設者チャールズ2世
貴族イングランド貴族
初代初代伯ジェイムズ・バーティ(英語版)
現所有者9代伯リチャード・バーティ(英語版)
推定相続人ノリス男爵ヘンリー・バーティ
付随称号ノリス男爵
現況存続
邸宅ギルミンズクロフトハウス
旧邸宅ワイタム・アビー(Wytham Abbey)
スパニッシュプレイスマンション(Spanish Place Mansion)
モットーLoyaltee me oblige
(Loyalty binds me)
1938年よりリンジー伯爵を兼ねる

アビンドン伯爵(: Earl of Abingdon)は、イギリスの伯爵貴族イングランド貴族爵位。リンジー伯爵家の分流の第5代ノリス男爵ジェイムズ・バーティー(英語版)が1682年に叙されたことに始まる。1938年以降は主家のリンジー伯爵位を継ぎ、以降は継承者を同じくする[注釈 1][1][2]
歴史アビンドン伯爵位叙爵を認める勅許状。(ヴィクトリア&アルバート博物館収蔵)

伯爵家の祖ジェイムズ・バーティー(英語版)(1653-1699) は、リンジー伯爵家当主の後妻の長子として生まれた[注釈 2][2]。彼は1675年貴族院より議会招集を受けて、母方由来の爵位「ノリス男爵 (Baron Norreys/Norris of Rycote) 」として貴族院議員となった[3]。彼はオックスフォードシャー統監(英語版)在職中の1682年イングランド貴族としてアビンドン伯爵に陛爵した[2][3]。初代伯ののちは長男のモンタギューが爵位を継承した。

2代伯モンタギュー (1673-1743) は、アン女王の治世下で父同様にオックスフォードシャー統監に就任したほか、ロンドン塔代(英語版)やタワーハムレット統監(英語版)を歴任した[4]。また、彼は勅許を得てその姓に「ヴェナブルズ (Venables) 」を加えている[2][5]。彼が1743年に亡くなると、爵位は甥のウィラビーが継承して、現在に至るまで3代伯ウィラビーの男系子孫によって伯爵位は継承されている[2]

そのひ孫にあたる6代伯モンタギュー (1808-1884) は襲爵前にオックスフォード及びアビンドン選挙区選出の庶民院議員を務めた[2]。彼の代にドーチェスターの邸宅を手放したという[6]

8代伯モンタギュー (1887-1963) は、1951年に本家筋にあたる第12代リンジー伯爵モンタギュー・バーティー(英語版)の死去によってリンジー伯爵を相続していたことが確認されたため、以降の伯爵家当主はリンジー伯爵を兼ねることとなった[2][7]

その後を継いだ9代伯リチャード (1931-) がアビンドン伯爵及びリンジー伯爵家現当主である。

一族の邸宅は、イーストエアシャー州マホリン近郊のギルミンズクロフト・ハウス (Gilmilnscroft House)[2]

かつての邸宅には、オックスフォード州ワイタムに位置したワイタム・アビー(英語版)(Wytham Abbey) やタウンハウスたるスパニッシュプレイスマンション (Spanish Place Mansion) のほか、同州ドーチェスターにも邸宅を有していた[3][6]
現当主の保有爵位

現当主である第9代アビンドン伯爵リチャード・ヘンリー・ルパート・バーティ(英語版)は、以下の爵位を有する[注釈 3][7]

第9代アビンドン伯爵(9th Earl of Abingdon)
(1682年11月30日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

第14代リンジー伯爵(14th Earl of Lindsey)
(1626年11月22日の勅許状によるイングランド貴族爵位)

第13代ライコートのノリス男爵(13th Baron Norreys/Norris, of Rycote)
(1572年5月8日の議会招集によるイングランド貴族爵位)

当主一覧かつての伯爵家の邸宅であるワイタムアビー。

初代アビンドン伯爵(第5代ノリス男爵)ジェイムズ・バーティー(英語版)(1653?1699)

第2代アビンドン伯爵モンタギュー・ヴェナブルズ=バーティー (1673?1743)

第3代アビンドン伯爵ウィラビー・バーティー (1692-1760)

第4代アビンドン伯爵ウィロビー・バーティー(英語版) (1740?1799)

第5代アビンドン伯爵モンタギュー・バーティー(英語版)(1784?1854)

第6代アビンドン伯爵モンタギュー・バーティー(英語版)(1808?1884)

第7代アビンドン伯爵モンタギュー・アーサー・バーティー(英語版) (1836?1928)

第8代アビンドン伯爵(第13代リンジー伯爵)モンタギュー・ヘンリー・エドマンド・タウンリー=バーティー(英語版)(1887?1963)(1938年にリンジー伯爵継承)

第9代アビンドン伯爵(第14代リンジー伯爵)リチャード・ヘンリー・ルパート・バーティー(英語版) (1931‐ )

爵位の法定推定相続人は、現当主の息子であるノリス男爵(儀礼称号)ヘンリー・マーク・ウィロビー・バーティー(1958-)。

以前のノリス男爵家当主は、ノリス男爵を参照のこと。
脚注
注釈[脚注の使い方]^ 1938年はあくまで法令上の解釈であって、実際に継承したことが認められたのは1951年(デ・ファクト)。
^ 初代アビンドン伯爵ジェイムズは、リンジー伯爵家当主第2代リンジー伯爵モンタギュー・バーティー(英語版)と後妻である第4代ノリス女男爵ブリジット・レイとの間に生まれた長男である。したがって、父の前妻の子である第3代リンジー伯爵ロバート・バーティー(英語版)は初代伯の異母兄にあたる。
そのため、初代伯はリンジー伯爵を継ぐことはできなかったが、母ブリジットからノリス男爵を継承することができた。
^ 叙爵順からいえば、本来はリンジー伯爵位を上位に記載すべきであるが、本記事はアビンドン伯爵の記事であるため、同爵位を優先表記した。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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