アビラ県
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アビラ県
アビラ県の位置
 カスティーリャ・イ・レオン州
県都 アビラ
公用語スペイン語
議会
 ? 上院
 ? 下院
 ? 州議会
3議席
4議席
7議席
県議会
 ? 議席数
 ? 議長

 ? 党派別議席数
(2015年)[1]
25議席
Jesus Manuel Sanchez Cabrera(PP CyL[1]
PP CyL:14
PSOE CyL:7
IU CyL:1
UPyD CyL:1
C's:1
TC:1
面積
 ? 総計
 ? スペイン国内の%
 ? 順位
8,049.92km2 [2]
1.60%
30位
人口(2010年)
 ? 総計
 ?スペイン国内の %
 ? 人口密度
 ? 順位
171,896人[2]
0.37%
21.35人/km2 [2]
47位
自治体数248
住民の呼称abulense
郵便番号05
ISO 3166-2ES-AV
県議会公式ページ
スペインの県

アビラ県(アビラけん、スペイン語: Provincia de Avila)は、スペインカスティーリャ・イ・レオン州に属している。同州バリャドリッド県セゴビア県サラマンカ県マドリード州カスティーリャ=ラ・マンチャ州トレド県エストレマドゥーラ州カセレス県に接している。県都はアビラ
地理
人口

アビラ県の人口推移 1900?2010

出典:INE(
スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[3]、1996年 - [4]

歴史
先史時代と古代
ローマ以前詳細は「es:Vetones」を参照イベリア半島西部のベトン族支配地域カストロ・デ・ラス・コゴータスベトン族にとって経済的に重要だった牧畜ミノゴリーアで発見された石像彫刻ベラコ(スペイン語版)

この地にローマ人が到達する前にすでにベトン族が居住していた。彼らの居住領域の北東境界はアビラの北数キロに位置するカルデニョーサにあったことが確認されている[5]。Vaccaei族も現在の県域の一部、ラ・モラーニャ地域に居住していた痕跡が見つかっている[6]

この地に居住していた人口の大部分は現在の県域のほぼ中央部分に集中していた[7]。この先ローマ時代の居住者であるベトン人はこの時期に領域の高台にいくつかの防備を固めた大規模な集落(エル・ラソ(El Raso)、ラス・コゴータス(Las Cogotas)、カストロ・デ・ラ・メサ・デ・ミランダ(Castro de la Mesa de Miranda、カストロ・デ・ラ・エラ・デ・ロス・モーロス(Castro de la Era de los Moros)、ウラカ(Ulaca)など)を形成していた[8]。これらのうちで規模が最大で最も重要なのはカストロ・デ・ウラカで、推定人口およそ5,900人と考えられている[9]。発見された墳墓の埋葬品の調査からベトンの社会には軍人エリート階級に支配されていたピラミッド状の階級社会で[10]、最下層には奴隷階級が存在したらしいことが確認できる[11]。ベトン族の経済基盤は牧畜で[12][13]、最も主要な家畜はウシで、他にはブタ、ヤギ、ヒツジなどが見られる[14]。この地は耕作には恵まれた条件でないため、農耕はあまり重視されなかったようである[15]。狩猟については盛んにおこなわれ、その一方でドングリのほか、クリ、クルミなどの採集についてはベトン人の食生活において非常に重要であったことがうかがえる[16]

ベトン族は雄ウシや豚の形のおびただしい数の石像彫刻(verraco)をこの地域に残している。この古代の石像はイベリア半島の他の先住民の居住地域でも見られるが、ベトン族地域で最も多く見られる。アビラ県の領域で石像彫刻の43%が発見されている[17]。この石像が何のためのものであったかについては、今日でも議論があり;葬祭儀式のためであるとか、放牧のための通路の目印であるとか、土地の境界を示すものであるとか、または牧畜の守護神であるとかさまざまな説が唱えられているが、何か豊かさに関係する呪術的な役割を帯びた像であろうと考えられている[17][18]。「es:Verraco de piedra」も参照
ローマ時代ヒスパニアの征服

紀元前192~193年、vaccei人とケルティベリア人と同盟関係を結んだベトン人はトレドにおいてプラエトルマルクス・フルウィウス・ノビリオル(Marcus Fulvius Nobilior)率いるローマ軍団に敗北し、トレドは占領された[19]。このことによりおそらくベトン人は今日の県域に居住していた諸部族のうち最も東方に居住する部族となったと考えられる[19]。ただこの出来事とルシタニア戦争(紀元前155年)の開始についてベトン族に関する有意な言及について確認できる記録は残されてはいない。ルシタニア戦争の間、ベトン族はプニクス(Punico)に率いられたルシタニア軍本体に合流していた[20]。研究者の多くはこの戦争が終わるまでベトン族による加勢は維持されたに違いないと主張している。この後セルトリウス戦争以降、記録はないもののベトン族地域は平和な時代が訪れたようである[21]アビラの城壁にはめ込まれたローマ時代の墓標

アウグストゥスは2度のヒスパニアの属州の境界の再編を行った(紀元前27年および紀元前7-2年)が、現在のアビラ県周辺については変化はなかった。ベトン族の領域に関する矛盾した情報は、多くの研究者がベトン族の領域がヒスパニア・キテリオルとルシタニアという2つの属州に分かれていたことによって混同したことに起因する[22]。そして現在のアビラ県の領域はその北部と東部の一部を除き、大部分が属州ルシタニアの領域内にあった[23]


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