この項目では、ビートルズのアルバムについて説明しています。その他の用法については「アビイ・ロード (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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『アビイ・ロード』
ビートルズ の スタジオ・アルバム
リリース
1969年9月26日
1969年10月1日
1969年10月21日
録音
1969年2月22日 ? 8月18日 (1969-02-22 ? 1969-08-18)
EMIレコーディング・スタジオ
ジャンルロック
時間44分9秒
レーベルアップル・レコード
プロデュースジョージ・マーティン
専門評論家によるレビュー
AllMusic [1]
The Rolling Stone [2]
チャート最高順位
後述を参照
ゴールドディスク
後述を参照
ビートルズ U.K. 年表
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イエロー・サブマリン
(1969年)
アビイ・ロード
(1969年)
レット・イット・ビー
(1970年)
ビートルズ U.S. 日本 年表
イエロー・サブマリン
(1969年)
アビイ・ロード
(1969年)
ヘイ・ジュード
(1970年)
『アビイ・ロード』収録のシングル
「サムシング / カム・トゥゲザー」
リリース: 1969年10月6日
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『アビイ・ロード』(Abbey Road)は、イギリスにおいて1969年9月26日に発売されたビートルズ12作目[注釈 1]のオリジナル・アルバム。
ローリング・ストーン誌は「本作のB面のみで、『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』に匹敵する」と評している。イギリスの「ミュージック・ウィーク」誌では17週連続[3][4]、アメリカの「ビルボード」誌では11週連続1位を獲得し[5]、1970年度年間第4位を記録している[6]。「キャッシュボックス」誌でも14週連続第1位獲得し、1970年度年間ランキング第5位を記録している。さらに、全世界で3100万枚以上の販売を記録している[7]。EMIレコーディング・スタジオは、このアルバムの大ヒットをきっかけにビートルズに敬意を表して「アビー・ロード・スタジオ」と改称された。『これが最高!(Critic's Choice Top 200 Albums)』(1979年 クイックフォックス社)の英米編では9位、日本編では2位にランクされ、『ローリングストーン誌が選ぶオールタイム・ベストアルバム500』(2020)では5位にランクされている。
なお、イギリスでは前作の『イエロー・サブマリン』[注釈 2]まで、ステレオ盤とモノラル盤が併売されていたが、このアルバムからステレオ盤のみの販売となった。そのため本作のモノラル盤は販売されていない[注釈 3]。 事実上頓挫した「ゲット・バック・セッション」の後にビートルズ解散が危惧される状況のなか制作された事実上最後のアルバムである。録音は1969年2月22日の「アイ・ウォント・ユー」に始まり、7月1日の正式か制作開始を経て、8月25日に完了した。ちなみに本盤の制作を正式に始めた3日後(7月4日)にジョン・レノンはプラスティック・オノ・バンド名義で初のソロ・シングル『平和を我等に』を発売している。こうした状況の中にあったビートルズのアルバムをプロデュースしたジョージ・マーティンは当時の経緯を「『レット・イット・ビー』の悲惨な経験のあと、彼らがまた集結するとは思いもよらなかった。ポールが電話をくれた時はひどく驚いたよ。『もう1枚レコードを作りたいんだ。僕たちをプロデュースしてくれない? 本当の意味でプロデュースしてほしい』と言われて『いいとも、もし本当の意味でプロデュースさせてもらえるならね。また私にあれこれ指図して困らせようというんなら断る』と答えたんだ。結果的にはとてもよかった。もっとも連中は自分のことにかまけがちで、それぞれ違うスタジオにいたりしたから、私はあっちこっち飛びまわらなきゃならなかったがね」と語っている[8]。 「ゲット・バック・セッション」から一変し、ビートルズは本作で覇気に満ちた成果を出した。本作は、ブルース、ポップ、プログレッシブ・ロックなど様々なジャンルを取り入れたアルバムで[9]、モーグ・シンセサイザーとレスリースピーカーが特徴的に使用されている。一般的にB面の大部分を占めるメドレーは高い評価を集めている。このメドレーについてレノンは「A面は良いけどB面はちょっとね。あれはジャンク(ガラクタ)を集めただけだと思うよ」と述べているが[10]、ポール・マッカートニーとリンゴ・スターは「B面のメドレーは僕らの最高傑作のひとつ」と発言している。マッカートニーは解散後のソロ・コンサートにおいてもメドレー「ゴールデン・スランバー?キャリー・ザット・ウェイト?ジ・エンド」をコンサート終盤にしばしば演奏している。 1969年9月の『アビイ・ロード』発売後に1970年5月にビートルズ最後のオリジナル・アルバムとして発売された『レット・イット・ビー』の多くの部分が、本作録音前の1969年1月22日から31日にかけての「ゲット・バック・セッション」において録音されていることが知られていた[11]。
背景