アパッチ_(アイドルグループ)
[Wikipedia|▼Menu]

アパッチ
出身地
日本
活動期間1976年 - 1981年

『アパッチ』は、かつて日本で活動した3人組のアイドルグループ。メンバーはアコ、ミッチー、ヤッチン。1976年にデビュー、1981年に解散した。グループとしての正式デビュー曲は「恋のブロックサイン」(映画『野球狂の詩』の主題歌)。
結成の経緯

1976年にスタジオ・ミュージシャンたちによるバンド、マイナー・チューニング・バンド(後に「アパッチとマイナー・チューニング・バンド」に改名[1])が当時のヒット曲13曲をディスコ風にアレンジしてメドレーにした「ソウルこれっきりですか」(編曲:ヒーロー高田)をシングル盤として発売。同曲がオリコン最高2位を記録するなど想定されていた以上にヒットしたため、テレビ番組用のダミーのグループ歌手が結成されることになり、日本テレビ音楽学院(現・日テレ学院タレントコース)の生徒の中からオーディションを行いアイドル・グループ「アパッチ」が結成された[2]。このグループ名は「若さあふれるパンチ」という言葉をもじったものである[3]

なお、所属事務所の方針でデビュー後しばらくは私服も色違いで着ており、サングラスはかけないこと、すっぴんで仕事場に来たら罰金500円という事務所との約束事があったという[3]

1981年に解散したが、メンバーの一人のアコは解散理由を「5年間の契約切れ」と話している[2]

テレビの歌番組ではアパッチの3人によって歌われたが、レコードの「ソウルこれっきりですか」のボーカルはシンガーズ・スリー伊集加代子ら)によるものである[1]
メンバー
アコ
(阿部美和子)誕生日: (1958-10-11)
1958年10月11日(65歳)[4]宮城県牡鹿郡女川町出身[5]。1977年当時、趣味として載っていたのは編み物[4]。中学卒業後、静岡県富士市紡績工場に就職。しかしホームシックなどもあって、1年ほどで退職。退職後一時女川に戻るが、後に母親と一緒に上京、大田区馬込の日本そば店で住み込みで働きながら、日本テレビ音楽学院に通う[5]。引退後、25歳で結婚。二人の息子に恵まれるが、41歳の時に夫が他界。2019年現在、孫が4人いる[5][3]2013年頃から芸能活動を再開[5]、再開後は芸名を「亜子」、後に「亜湖」(女優の亜湖とは別人)としている[3][2][6]。所属は知り合いの芸能事務所、カロスエンターテイメントの預かりという形となっている[5]が、本人曰く「実質的にはほとんど活動はしていない」とのこと[6]。毎日焼肉店で勤務の他、1日おきで障害者のためのヘルパーを務める日々を送っている[6]が、「シニアモデルをやりたい」意欲を持っているという[6]2017年11月23日三東ルシアとのユニットでCD『恋シンボウ』をリリース[2]。中学生時代は郷ひろみのファンだった[5]。『8時だョ!全員集合』(TBS)のリハーサルの場では、本人は志村けん西城秀樹の肩をもむ担当だったと話している[6]。同じ女川町出身の中村雅俊とは同じ中学出身で部活も同じバスケットボール部だったという共通点もあって、月刊明星誌上で中村との対談企画が組まれたことがある[7]
ミッチー
(太田三知子)誕生日: (1958-03-03) 1958年3月3日(66歳)。東京都出身。1977年当時、趣味として載っていたのはケーキ作り[4]。解散後、ラジオパーソナリティ、事務職を経て結婚、引退[3]。引退後、二人の息子に恵まれ、小平市で農家(ネギの農園)の主婦となる[2][3][8]
ヤッチン
(矢沢裕代)誕生日: (1960-12-31) 1960年12月31日(63歳)。東京都出身。1977年当時、趣味として載っていたのはアーチェリー[4]。「三越ファッションシスターズ」という三越の専属モデル、OLを経て主婦[3]。父が遺した会社を手伝っている[2]。娘が二人いる[3]荻野目慶子荻野目洋子の姉がアパッチのメンバーであるとの情報が一時流れていたが[9][10]、荻野目慶子は姉は芸能界とは無縁だとしている[11][12]


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:46 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef