アヌーク・エーメ
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アヌーク・エーメ
Anouk Aimee
1963年
本名Francoise Sorya Dreyfus
生年月日 (1932-04-27) 1932年4月27日(92歳)
出身地 フランスパリ
活動期間1947年 - 現在
配偶者Edouard Zimmermann (1949年 - 1950年
ニコ・パタタキス (1951年 - 1954年
ピエール・バルー1966年 - 1969年
アルバート・フィニー1970年 - 1978年
主な作品
モンパルナスの灯
甘い生活
『ローラ』
8 1/2』(1963年)
男と女』(1966年)

 受賞
カンヌ国際映画祭
女優賞
1980年『虚空への跳躍』
ベルリン国際映画祭
名誉金熊賞
2003年
英国アカデミー賞
外国女優賞
1967年『男と女
ゴールデングローブ賞
主演女優賞(ドラマ部門)
1967年『男と女』
セザール賞
名誉賞
2002年
その他の賞

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アヌーク・エーメ (アヌーク・エメ、アヌーク・エメー:Anouk Aimee ⇒発音例, 本名: Francoise Sorya Dreyfus, 1932年4月27日 - ) は、フランス出身の女優

70年以上のキャリアを誇る、欧州を代表する女優の一人。欧米各国で各賞を獲得するなど国際的にも高く支持され、「映画史上最もセクシーな女優の一人」とも評された[1]。晩年期に入った近年も、各地で名誉賞を受賞している。
来歴

1932年4月27日パリで生まれた。両親はともにユダヤ系舞台俳優コメディ俳優)[2]パリ9区のミルトン通り小学校に通っていたが、ユダヤ人迫害が激しくなってきたので、両親により送られたアキテーヌ地方のコニャック近郊バルブジュー=サン=ティレールで育った。ナチス・ドイツによるフランス占領期には、黄色の星を胸に身に付けるのを避ける為、母親の姓"デュラン"を名乗った。モルジヌ寄宿学校 (パンショナ, Pensionnat[3]) に入り、この頃ロジェ・ヴァディムとも知り合った[4]

1947年、14歳の時にパリでその美貌からスカウトされ、アンリ・カレフ監督の『密会 (La Maison sous la mer) 』(1947年) に出演し、女優としてデビューした。その際、この作品の役名"アヌーク"を彼女が芸名に用いた。続いて、お蔵入りし未発表作品となったデビュー2作目 『La Fleur de l'age 』(1947年) において、1作目から脚本で関わっていた詩人ジャック・プレヴェールが、芸名に"エーメ"を付け加えることを提案した。高校課程にあたるリセ課程はイギリスで学び、さらに演劇学校に通った[5]

1958年の『モンパルナスの灯』ではアメデオ・モディリアーニの妻ジャンヌ・エビュテルヌを演じ、その美貌で世界的な人気を博した。その後、フェデリコ・フェリーニ監督の『甘い生活』(1960年)や『8 1/2』(1963年)やジャック・ドゥミ監督の『ローラ』(1961年)などに出演した。

1966年クロード・ルルーシュ監督の『男と女』でヒロインを演じ[6]ゴールデングローブ賞主演女優賞」と英国アカデミー賞「外国女優賞」を受賞し、「アカデミー主演女優賞」にもノミネートされた[7]

1980年には『Salto nel vuoto』でカンヌ国際映画祭女優賞」を受賞した。


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