アニメンタリー決断
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アニメンタリー 決断
ジャンルドキュメンタリー、歴史
アニメ
原作
児島襄
監督九里一平
製作吉田竜夫タツノコプロ
放送局日本テレビ
放送期間1971年4月3日 - 9月25日
話数全26話
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『アニメンタリー 決断』(アニメンタリー けつだん)は、太平洋戦争を題材にした竜の子プロダクション制作のテレビアニメである。1971年4月3日から同年9月25日までの間、毎週土曜日19時30分 - 20時に日本テレビ系で全26回放映された[1]
概要

太平洋戦争を、1941年真珠湾攻撃から1945年の敗戦に至るまで、日本側と連合国側、その双方の指揮官や司令官、兵士たちの重要な「決断」を中心に描き出すノンフィクションドラマである[1]。「アニメンタリー」とは、「アニメーション」と「ドキュメンタリー」を合わせて作られた造語であり[1]、併せて、この作品の性格を端的に示している。視聴対象を子供だけでなく大人にまで広げ[1]、戦争状態における将官達の「決断」の時を描き、いかなる「教訓」をもたらすのかを視聴者に訴えた作品となった[1]

平均視聴率は8.2%(タツノコプロが所有する資料による)[2]

実在の人物、兵器を忠実に描き、効果音は実写映画に使用される本物の爆発音やエンジン音を使用した[3]。また、この作品に使用された色付きの透過光などの特殊効果は、当時としては斬新なもので、後に制作された『科学忍者隊ガッチャマン』などのタツノコ作品にも多用され、後のアニメ作品に影響を与えた[3]。総監督だった九里一平も「『決断』で試した技術はすべて『ガッチャマン』の血と肉となりました」と証言している[4]

2005年に第1 - 25話を収録したDVD、2015年にBlu-ray BOXが発売されたが、第26話は日本テレビと読売広告社制作による実写作品であるため、版権の関係から収録されておらず、再放送もされていない[5][注釈 1]

扱われる決断の多くは軍人たちのものであり、各話の舞台も戦地や軍事基地といった場所がほとんどであったため、国内外含めて一般人の描写は極めて少ない。それ以外の政治家たちの決断が描かれたのは第25話のみで、昭和天皇についても第25話以外にはセリフにも登場しない[注釈 2]。番組中盤からは戦争中に撮影された実写フィルムも使用されている。

登場する兵器類は放映当時としてはデフォルメがなく写実的であるが、レイテ沖海戦軽空母である千歳型水上機母艦のまま登場するなど、やや考証面に難がある。また、アキャブ飛行場へ来襲したブレニム軽爆撃機爆撃のみならず、旋回銃手(史実ではマクラッキー軍曹)が地上で休息中の加藤隼戦闘隊員を機銃掃射で多数射殺するなど、史実とは異なる派手な演出も見られた。
雑誌

決断
ジャンル
戦記
刊行頻度月刊
発売国 日本
言語日本語
定価150円(創刊号)[6][7]
出版社日本テレビ放送網
刊行期間1971年5月号(4月発売[6]) ? 11月号
発行部数23万部、または30万部(創刊号)
特記事項6・7月号は合併号[8]
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放送当時には同題名の雑誌が出版され、フィルムストーリーが掲載された[1]。この雑誌は制作局である日本テレビ放送網が刊行し、全部で6冊発行された[9]

同誌は本アニメのスポンサーでもあったサッポロビールが宣伝費を出して制作費を賄い[8]、創刊号は23万部を発行[8](30万部とする文献もある[7])、うち約3万部を酒店・料飲店・テレビ局に配布したほかは大半を書店流通で販売した[8]。この創刊号は「売れ行きもまずまず」だったとされる[10]
製作の経緯

本作の製作は、スポンサーであったサッポロビール(現・サッポロホールディングス)の意向とされる。九里一平によると、当時サッポロビールには旧日本軍OBの重役もおり、「働き盛り」の壮年層に向けた番組として戦史物が企画され、戦記物作家児島襄の小説「決断」を原作とした作品の製作が決定した[11][注釈 3]。実写での製作が困難であることから、当初よりアニメとする方針であったという[13]。とはいえ、当時のアニメ技術でもドキュメンタリータッチの作画で番組を作るのは容易ではなかった。兵器類については九里の発案で、作画にアニメーターではなく挿絵画家を起用した[13]。だが、挿絵画家の絵は完成のペースが遅くスケジュールの上で大きな負担となり、シリーズ後半には止め絵を増やしたり、背景やカメラワークで間に合わない絵の箇所をカバーするといったことがおこなわれた[14][注釈 4]。こうした困難が予想されたにもかかわらず引き受けた理由について、九里はサッポロの出す豊富な予算が魅力だったと述べ、但馬オサムはこれに加えて『昆虫物語 みなしごハッチ』の際に製菓会社が尻込みする中サッポロがスポンサーを引き受けてくれた恩義があり、パイプを太くしたい意図があったのではないかと記している[13]。九里の証言ではサッポロビールの1社提供とされているが、当時の番組宣伝チラシでは矢崎総業も加わる2社提供番組だった[15]

原作で監修者でもある児島が「事実を淡々と描くべき」というスタンスだったのに対し、脚本・構成の鳥海尽三は「史実でもドラマ性は必要」と主張して対立した[16]。また視聴対象として壮年層の「管理職世代」を念頭にした児島に対し、鳥海は戦争を知らない若い世代へのテーマを入れようとして、この点でも食い違った[16]。その結果、脚本があがらない事態になり、鳥海は降板を余儀なくされた[16]。このほか、児島やスポンサーサイドの軍OB、挿絵画家はリアリティにこだわり、作画の省略や細部がつぶれた箇所などにもリテイクを要求し、さらにスケジュールを圧迫することになった[17]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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