アニバル・サンチェス
[Wikipedia|▼Menu]

アニバル・サンチェス
Anibal Sanchez
ワシントン・ナショナルズ時代
(2020年9月8日)
基本情報
国籍 ベネズエラ
出身地アラグア州マラカイ
生年月日 (1984-02-27) 1984年2月27日(40歳)
身長
体重6' 0" =約182.9 cm
180 lb =約81.6 kg
選手情報
投球・打席右投右打
ポジション投手
プロ入り2001年 アマチュアFA
初出場2006年6月25日
最終出場2022年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)


フロリダ・マーリンズ
マイアミ・マーリンズ
(2006 - 2012)

デトロイト・タイガース (2012 - 2017)

アトランタ・ブレーブス (2018)

ワシントン・ナショナルズ (2019 - 2020, 2022)

国際大会
代表チーム ベネズエラ
WBC2013年
この表についてこの表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。

■プロジェクト:野球選手  ■テンプレート

アニバル・アレハンドロ・サンチェス(Anibal Alejandro Sanchez, 1984年2月27日 - )は、ベネズエラアラグア州マラカイ出身の元プロ野球選手投手)。右投右打。愛称はサンチー[1]
経歴
プロ入りとレッドソックス傘下時代

2001年1月3日にボストン・レッドソックスと契約してプロ入り。

2004年、傘下のA-級ローウェル・スピナーズ(英語版)でプロデビュー。15試合に先発登板して4勝4敗、防御率1.77、101奪三振を記録した。オフの11月20日にレッドソックスとメジャー契約を結び、40人枠入りした。

2005年3月3日にレッドソックスと1年契約に合意し、14日にA級ウィルミントン・ブルーロックスへ配属された。A+級ウィルミントンでは14試合に先発登板して6勝1敗、防御率2.40、95奪三振と好投した。7月にAA級ポートランド・シードッグスへ昇格した。11試合に先発登板して3勝5敗、防御率3.45、63奪三振を記録した。
マーリンズ時代マイアミ・マーリンズ時代
(2012年4月21日)

2005年11月24日にジョシュ・ベケットマイク・ローウェルギレルモ・モタとのトレードで、ヘスス・デルガド(英語版)、ハービー・ガルシア(英語版)と共にフロリダ・マーリンズへ移籍した[2]

2006年3月16日に傘下のAA級カロライナ・マドキャッツへ配属された。6月25日にメジャーへ昇格し、同日のニューヨーク・ヤンキース戦でメジャーデビュー。9月6日のアリゾナ・ダイヤモンドバックス戦ではノーヒットノーランを達成(スコアは2-0)した。新人としてはバド・スミス(英語版)以来5年ぶり。この活躍から9月第1週のプレイヤー・オブ・ザ・ウィーク(英語版)を受賞した[3]。この年は18試合(先発17試合)に登板して10勝3敗、防御率2.83、72奪三振を記録した。

2007年は先発ローテーション入りを果たしたものの、5月4日にAAA級アルバカーキ・アイソトープスへ降格した。結局肩を手術し、僅か6登板でシーズンを終了した。

2008年3月2日にマーリンズと1年契約に合意。3月24日に前年の手術の影響で15日間の故障者リスト入りした。開幕後の5月23日に60日間の故障者リストへ異動した。7月31日に復帰。この年は10試合に登板して2勝5敗・防御率5.57だった。

2009年は故障の影響で16試合の先発に終わり、フルシーズンを過ごすことができなかった。

2010年は先発ローテーション入りを果たし、大きな故障も無く、ルーキーイヤーの2006年以来となる二桁勝利(13勝)を挙げた。

2011年4月22日のコロラド・ロッキーズ戦では8回まで無安打(1失点)に抑え、自身二度目のノーヒッターを目前にしたが、9回表に先頭のデクスター・ファウラーに安打を浴び、1安打1失点の完投に終わった。勝ち運に恵まれず8勝止まりだったが、初の200奪三振をクリアするなど投球内容的には充実したシーズンだった[4]

2012年2月6日にマーリンズと1年契約に合意。19試合に先発登板して5勝7敗、防御率3.97、110奪三振を記録した。
タイガース時代デトロイト・タイガース時代
(2017年8月6日)

2012年7月23日にジェイコブ・ターナーら3選手とのトレードで、オマー・インファンテと共にデトロイト・タイガースへ移籍した[5]。移籍後は12試合に先発登板して4勝6敗、防御率3.74、57奪三振を記録した。オフの10月29日にFAとなった。12月17日に5年契約総額8000万ドルの(2018年の球団オプション付き)[6]でタイガースと再契約した[7]

2013年はシーズン開幕前の3月に第3回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)ベネズエラ代表に選出された[8]

シーズンでは開幕ロースター入りしたが、6月9日に右肩を故障。6月17日に15日間の故障者リスト入りした後、7月5日に復帰。この年は29試合に登板し、自己最多の14勝(8敗)を挙げ、防御率はリーグトップの2.57を記録し、最優秀防御率のタイトルを獲得した。

2014年は開幕ロースター入りしたが、開幕後5試合目の登板となった4月26日のミネソタ・ツインズ戦で、投球中に右手中指を負傷。試合終了後に15日間の故障者リスト入りした[9]。5月18日に復帰[10]。この年は故障の影響もあって22試合の登板(うち21試合で先発登板)に終わった。また7月以降、調子を落とし[11]、最終的には防御率3.43・8勝5敗という成績だった。

2015年は25試合に先発登板し、1完封を含む2年ぶりの二桁勝利を挙げたが、ア・リーグワーストの29被本塁打を浴び、防御率も4.99と不調だった。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:70 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef