アニエス・ベー
[Wikipedia|▼Menu]

この存命人物の記事には検証可能出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。
出典検索?: "アニエス・ベー" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2016年1月)

エニエス・ベー
2012年
生誕Agnes Trouble
(1941-11-26) 1941年11月26日(80歳)
フランス イル=ド=フランス地域圏イヴリーヌ県ヴェルサイユ
職業ファッションデザイナー
署名

エニエス・ベー(agnes b., 本名:アニエス・トゥルブレ/Agnes Trouble, 1941年11月26日 - )は、フランスファッションデザイナー

彼女が手がけるファッションブランドについてもここで扱う。目次

1 経歴

2 ブランド

2.1 主なブランド名


3 脚注

4 外部リンク

経歴

フランスのヴェルサイユで弁護士の娘として生まれた。美術館学芸員を目指して、ヴェルサイユ美術学校に進学。卒業後の17歳のときに編集者のクリスチャン・ブルゴワと結婚し、長男を出産したがすぐに離婚。その後、1964年に雑誌出版社のELLEに入社して編集者となり、子ども向けのファッションを担当していた。同社退社後は「ドロテビス」でスタイリストを2年経験後、フリーの立場で「ピエール・ダルビー」でデザイナーの仕事に就いた。

1975年に自らのファッションブランドとしてアニエス・ベーを立ち上げ、パリ1区レ・アール地区ジュール通り6番地 (6 Rue du Jour) にブティックをオープン。ブランド名の「べー」は前夫ブルゴワの頭文字に由来する[1]1980年には、ニューヨークに2号店を出店。その後、オランダイギリス日本香港スイスなどにも進出し、世界中に店舗を持つブランドに育てあげた。私生活では2度の離婚を経験し、3人の男性との間に5人の子供をもうけた[1]

チャリティーにも熱心で、日本赤十字社エイズ撲滅活動やサラエヴォコソボに対する支援を行っている。阪神・淡路大震災の際にも、Tシャツを販売して収益を支援活動にあてた。また、2004年からスクーナータラを運用して海洋環境の調査を行うタラ財団の主な支援者でもある。

映画界ともかかわりが深く、独自の映画製作会社「Love Streams Productions」をパリに設立。2013年、家庭に問題のある11歳の少女と60歳のスコットランド人男性が偶然出会い、男性が運転するトラックに乗って旅をするロードムービー『わたしの名前は…』(原題:Je m'appelle Hmmm...)を本名のアニエス・トゥルブレ名義で自ら監督した。同作はこの年のヴェネツィア国際映画祭でプレミア上映され、第14回東京フィルメックスで特別招待作品となった[2]
ブランド

アニエスベージャパン
agnes b. Japan Inc.
種類株式会社
本社所在地 日本
〒106-0032
東京都港区六本木1-8-7 MFPR六本木麻布台ビル
設立1983年昭和58年)12月1日
業種小売業
事業内容日本国内における衣料品の輸入ブランド「agnes b」の販売
代表者エティエンヌ・ブルゴワ(代表取締役)
資本金9800万円
従業員数650名
主要株主C.M.C. S.A. 100%
関係する人物鈴木陸三
テンプレートを表示

婦人服紳士服子供服・雑貨・化粧品香水と幅広い展開をしている。流行にとらわれないシンプルで機能的なデザインが特徴。ロゴはトカゲ。

世界各国で6つの子会社を持っており、日本での展開は、フランスのC.M.C S.A.と日本のサザビー(現・サザビーリーグ)が合弁で設立した株式会社アニエスベーサンライズが行っている。1984年に、東京青山に1号店をオープン。現在は、全国の百貨店内などに店舗がある。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:13 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef