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やノートページでの議論にご協力ください。アナスタシウス3世ビブリオテカリウス
第13代 ローマ対立教皇
教皇就任855年
教皇離任855年
先代ヨハネス8世
次代クリストフォルス
個人情報
死去878年
原国籍ギリシャ
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アナスタシウス3世ビブリオテカリウス(? - 878年)は、ローマ教皇であるベネディクトゥス3世の対立教皇であり、神学者・司書官でもある(在位:855年)。「ビブリオテカリウス」は「書物の人」を意味する。ビブリオテカリウスはビブリオテカルスともいわれる。 ギリシャ人で、当世最高の神学者・学者と評されたほどの人物だった。そのため歴代教皇からは司書官として重用された。 855年9月29日にベネディクトゥス3世が教皇として選出されたが、@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}これは彼より前に選出された人物が教皇位を拒否したために得た幸運に過ぎなかった[独自研究?]。このためベネディクトゥス3世に対する不満が噴出し、反対派がアナスタシウス3世ビブリオテカリウスを擁立したのである。 しかしアナスタシウス3世は学者としての学識こそ高かったが、性格はだらしなく周囲に対する配慮も怠った[要出典]。このため人望を失ってベネディクトゥス3世と和解する。通例ならば[要出典]対立教皇は厳しく処分されるが、彼の学識を惜しんでベネディクトゥス3世は罪に問わなかった。ベネディクトゥス3世の死後、即位したニコラウス1世には大修道院長に任命される。さらにハドリアヌス2世とヨハネス8世の時代には司書として教皇の側近となり、重用された。
生涯
歴
対立教皇
古代
ヒッポリュトス217-235(教皇 カリストゥス1世)
ノウァティアヌス251-258(教皇 コルネリウス)
フェリクス2世355-365(教皇 リベリウス)
ウルシヌス366-367(教皇 ダマスス1世)
エウラリウス418-419(教皇 ボニファティウス1世)
中世
ラウレンティウス498-499、501-506(教皇 シンマクス)
ディオスクルス530(教皇 ボニファティウス2世)
テオドルス687(教皇 セルギウス1世)
パスカリス687(教皇 セルギウス1世)
コンスタンティヌス2世767-768(教皇 ステファヌス3世)
フィリップス768(教皇 ステファヌス3世)
ヨハネス8世844(教皇 セルギウス2世)
アナスタシウス3世ビブリオテカリウス855(教皇 ベネディクトゥス3世)
クリストフォルス903-904(教皇 レオ5世)
ボニファティウス7世974、984-985(教皇 ベネディクトゥス7世)
ヨハネス16世997-998(教皇 グレゴリウス5世)
グレゴリウス6世1012(教皇 ベネディクトゥス8世)
ベネディクトゥス10世1058-1059(教皇 ニコラウス2世)
ホノリウス2世1061-1064(教皇 アレクサンデル2世)
クレメンス3世1080、1084-1100(教皇 グレゴリウス7世)
テオドリクス1100-1101(教皇 パスカリス2世)
アルベルトゥス1101(教皇 パスカリス2世)
シルウェステル4世1105-1111(教皇 パスカリス2世)
グレゴリウス8世1012(教皇 ゲラシウス2世)
ケレスティヌス2世1124(教皇 ホノリウス2世)
アナクレトゥス2世1130-1138(教皇 インノケンティウス2世)