アナスタシア・ミスキナ
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アナスタシア・ミスキナ
Anastasia Myskina


アナスタシア・ミスキナ
基本情報
フルネームAnastasia Andreyevna
Myskina
国籍 ロシア
出身地 ソビエト連邦
ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国モスクワ
生年月日 (1981-07-08) 1981年7月8日(42歳)
身長174cm
体重59kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年1995年
引退年2007年
ツアー通算15勝
シングルス10勝
ダブルス5勝
生涯通算成績455勝283敗
シングルス355勝191敗
ダブルス100勝92敗
生涯獲得賞金$5,606,725
4大大会最高成績・シングルス
全豪ベスト8(2003・04)
全仏優勝(2004)
ウィンブルドン(英)ベスト8(2005・06)
全米ベスト8(2003)
優勝回数1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪ベスト4(2005)
全仏3回戦(2004・06)
ウィンブルドン(英)3回戦(2006)
全米1回戦(2003-05)
国別対抗戦最高成績
BJK杯優勝(2004・05)
キャリア自己最高ランキング
シングルス2位(2004年9月13日)
ダブルス15位(2005年2月21日)
■テンプレート  ■プロジェクト テニス

アナスタシア・ミスキナ(英語: Anastasia Myskina、ロシア語: Анастасия Андреевна Мыскина、1981年7月8日 - )は、ロシアモスクワ市出身の女子プロテニス選手。

2004年全仏オープン女子シングルス優勝者で、ロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成した。自己最高ランキングはシングルス2位、ダブルス15位。WTAツアーでシングルス10勝、ダブルス5勝を挙げた。身長174cm、体重59kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。
来歴

ミスキナはモスクワ市の名門クラブ「スパルタクラブ」で、アンナ・クルニコワエレーナ・デメンチェワと幼なじみだった(3人とも同じ年である)。このクラブは、旧ソビエト連邦時代の名選手オルガ・モロゾワがテニスコーチの夫とともに設立したものである。

2002年に女子テニス世界ランキングを59位から11位に上げ、世界トッププレーヤーの仲間入りをする。20歳を過ぎてからの急成長は、女子プロテニス界では比較的遅い。2003年全豪オープン全米オープンでベスト8に入り、22歳で世界トップ10入りを果たす。全豪オープンの準々決勝では、2003年2004年と2年連続でキム・クライシュテルスに敗退した。

2004年全仏オープンで、アナスタシア・ミスキナはロシア人の女子テニス選手として初の4大大会優勝を達成する。幼なじみのエレーナ・デメンチェワとの「ロシア対決」の決勝は女子テニス史上初の快挙であった。(ロシア人のテニス選手で初の4大大会シングルス優勝者は、1996年全仏オープン男子シングルスを制したエフゲニー・カフェルニコフである。ミスキナは最初の女子シングルス優勝者になった。)

この後、ミスキナはロシア代表選手としてアテネ五輪にも出場したが、女子シングルス準決勝でベルギー代表選手のジュスティーヌ・エナン=アーデンに敗れて「銅メダル決定戦」に回った。2人の準決勝敗退選手によって争われる銅メダル決定戦で、ミスキナはオーストラリア代表選手のアリシア・モリクに 3-6, 4-6 のストレートで敗れ、銅メダルも逃して4位に終わった。

ミスキナの全仏優勝に続いて、ウィンブルドン選手権ではマリア・シャラポワ全米オープンではスベトラーナ・クズネツォワが優勝し、2004年度の4大大会では「3大会連続」でロシア人の女子シングルス優勝者が誕生した。

2005年全豪オープンでダブルスの自己最高成績を出し、同じロシアのベラ・ズボナレワと組んで女子ダブルス4強入りを果たした。ミスキナとズボナレワは、準決勝でスベトラーナ・クズネツォワアリシア・モリクの組に 2-6, 3-6 で敗れた。ところが、全仏オープンでは1回戦でマリア・サンチェス・ロレンツォ(スペイン)に 4-6, 6-4, 0-6 で敗れ、全仏オープンの大会史上初めて、女子シングルスの前年度優勝者が1回戦で敗退する屈辱をなめた。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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