アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港
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アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港
Aeropuerto Adolfo Suarez Madrid-Barajas

IATA: MAD - ICAO: LEMD
概要
国・地域 スペイン
所在地マドリード
種類民間
運営者Aena
拠点航空会社

エア・ヨーロッパ

イージージェット

イベリア航空

Mint Airways

ワモス・エア

ライアンエアー

標高610 m
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯40度29分36.80秒 西経003度34分00.35秒 / 北緯40.4935556度 西経3.5667639度 / 40.4935556; -3.5667639
公式サイト ⇒公式ウェブサイト
地図
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滑走路

方向 長さ×幅 (m) 表面
14R/32L 4,100×60 アスファルト
18L/36R 3,500×60 アスファルト
14L/32R 3,500×60 アスファルト
18R/36L 4,349×60 アスファルト

統計(2010年)
旅客数49,863,504人
発着回数433,683回
出典:Passenger Traffic, Aena[1]
Spanish AIP, Aena[2]
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空港の一覧
テンプレートを表示
第4ターミナル。リチャード・ロジャース設計[3]

アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハス空港(アドルフォ・スアレス・マドリード=バラハスくうこう、スペイン語: Aeropuerto Adolfo Suarez Madrid-Barajas[4][5]、旧称および通称はマドリード=バラハス空港) (IATA: MAD, ICAO: LEMD) は、スペインの首都マドリードにある国際空港。マドリード都心の10km北東に位置している。
概要

1931年開港。旅客数は南ヨーロッパ最大級で世界でも22位となる空港である(2019年)[6]。南米路線が充実している。

空港ターミナルはマドリードの行政区であるバラハスに立地しているが、敷地が3050haと広大なためアルコベンダスサン・セバスティアン・デ・ロス・レイエス、パラクエージョス・デ・ハラーマ(スペイン語版)にも跨がっている。
歴史
開港から2014年に至るまで

1927年に建設開始され、1931年に完成し、1933年に初めて商業飛行を開始し、1944年に2つ目の滑走路が完成した。1954年、当時の国内線ターミナル(今のターミナル2)が完成し、貨物運航が開始された。1965年にこの空港に名付けられた地にちなんでマドリード=バラハス空港と改名された。1971年、ジャンボジェットの商業飛行運航開始に合わせ、国際線ターミナル(今のターミナル1)が開業した。1974年、イベリア航空は当空港とバルセロナとの間に今の国際線国内線乗継便の運用を開始し、現在も運用に至っている。

1979年7月29日、空港内で爆弾が爆発。死者5人、負傷者113人。バスク祖国と自由による犯行とみられる[7]

1982年、ワールドカップ開催に合わせ、今のターミナル3が1980年に開業した。2000年空港利用者数は、年間70万人を突破し、3つ目の滑走路と、新たな管制塔の建設を開始した。


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