アドミラル・グラーフ・シュペー
1936年に撮影されたアドミラル・グラーフ・シュペー
基本情報
建造所ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠
アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) は、ドイツ(ヴァイマル共和政)が海軍休日時代に建造し、ドイツ海軍 (Kriegsmarine) が第二次世界大戦で運用した軍艦。 ドイッチュラント級装甲艦の3番艦で、前弩級戦艦「ブラウンシュヴァイク 艦名はマクシミリアン・フォン・シュペーに由来する[6]。彼は第一次世界大戦において、青島を根拠地としたドイツ東洋艦隊司令官であり、コロネル沖海戦で勝利を収めたが、フォークランド沖海戦で戦死した[6]。「グラーフ・シュペー」の艦橋前面には「コロネル」のプレートが貼られていた。他にグラーフ・シュペーと呼ばれる船として、第一次世界大戦において未完成に終わったマッケンゼン級巡洋戦艦の4番艦がある。 なお、ドイツ語の発音に従えば本来はアトミラール・グラーフ・シュペーと表記すべきだが、日本では英語読みの「アドミラル」で呼ばれるのが一般的である[7][8]。 1932年10月1日ヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にて起工。1934年6月30日、進水式を行った。艦名は、そのもととなったマクシミリアン・フォン・シュペーの令嬢が命名した[注釈 4]。1936年1月6日に就役し、数ヶ月に及ぶ完熟訓練を大西洋で行った。翌年の1937年にはスペイン内戦に投入される[10]。2月初頭のマラガの戦い
概要
艦名
艦歴ジョージ6世戴冠記念観艦式に参加するシュペー、レゾリューション、フッド。英仏海峡へ向かうアドミラル・グラーフ・シュペー、1939年4月近代化改装後のアドミラル・グラーフ・シュペー
1939年8月21日に「アドミラル・グラーフ・シュペー」はヴィルヘルムスハーフェンより出航し、アイスランドの南を通過して大西洋に進出[15]。9月1日に給油艦「アルトマルク」と会合し、補給を受けた[16]。