アトランタ_(装甲艦)
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CSS/USS アトランタ(CSS/USS Atlanta)は、南北戦争中にアメリカ連合国海軍(南部海軍)とアメリカ合衆国海軍(北部海軍)の双方で使用された砲郭型装甲艦。元はスコットランドで建造され、南軍封鎖突破船として使用した商船フィンガル(Fingal)であり、北部海軍の封鎖を突破してジョージア州サバンナに入港した。その後幾度かヨーロッパに向かうために封鎖突破を試みたが失敗したため、装甲艦に改造されアトランタの名前が与えられた。1863年、座礁したところを北部海軍の2隻のモニター艦に鹵獲され、修理の後に北部海軍で使用された。活動の場はおおむねジェームズ川であり、そこの北軍を支援した。1865年に退役し、予備役艦隊に所属した。その後ハイチに売却されたが、1869年12月、引渡しのためハイチに向かう途中で沈没した。
封鎖突破船フィンガル

フィンガル

基本情報
船籍 イギリス
所有者ハッチンソン・ウェストハイランド・サービス
建造所ジェームズ・アンド・ジョージ・トーマス、グラスゴー
経歴
進水1861年5月9日
最後1861年9月に売却
要目
トン数約700bmトン
長さ189 ft (57.6 m)
幅25 ft (7.6 m)
深さ15 ft (4.6 m)
喫水12 ft (3.7 m)
ボイラー煙管型 ボイラー x 1
推進器1軸スクリュー
蒸気機関 x 2
速力13ノット
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フィンガルはスコットランドグラスゴーにおいて、ジェームズ・アンド・ジョージ・トンプソンの設計、クライドバンク鉄工造船所で建造された商船で、1861年の初めに完成した[1]。後にアトランタの見習い士官となったダブニー・スケールズによると、鉄製船体の2本マストで、全長は189フィート (57.6 m)、全幅は25フィート (7.6 m)であった。喫水は12フィート (3.7 m)、船底から主甲板までの高さは 15フィート (4.6 m)であった。スケールズは重量を約 700 (bmトン)と見積もっている。フィンガルは煙管型、 ボイラーは1基、垂直シリンダーの船舶用蒸気機関2基を備え、1軸スクリューにより13ノットの速度を出すことができた。シリンダーの直径は39インチ (991 mm)、ストロークは30インチ (762 mm)であった[2]

フィンガルはしばらくの間、ハッチンソン・ウェストハイランド・サービス社の船としてグラスゴーとスコットランドの他の都市を行き来していたが、1861年9月にイギリスにおける南軍のエージェントであったジェームズ・ブロック(James Dunwoody Bulloch)が購入した[1]。目的は軍需品や補給物質を南軍に届けることであったが、それを隠すためにブロックはイギリス人の船長を雇い、行き先をバミューダバハマナッソーと偽った。貨物は10月始めにグリーンノックで積み込まれたが、ブロックと他の乗客はそこでは乗船せず、ウェールズホリーヘッドで乗り込んだ。10月14日から15日にかけての夜中、フィンガルはホリーヘッドの堤防からゆっくりと出て行ったが、そこに無灯で係留されていたオーストリアのブリッグ・ジカルディ(Siccardi)に衝突、これを沈めてしまった。ブロックは彼の経理エージェントに手紙を書き、「ホリーヘッドに長期間留まることはできないため、オーストリア船のオーナーとの賠償交渉を行うよう」指示している[3]。11月2日にはバーミュダに到着した。バーミューダ出航後の11月8日、ブロックはフィンガルの目的地はサバンナであること、従えないものはナッソーまで送り届けることを船員に伝えた。これに対して、乗員全員が北部海軍の封鎖を突破してサバンナに向かうことに同意した。幸運なことに深い霧が出ており、封鎖艦に見つかることなく、11月12日に無事サバンナに入港した[4]

フィンガルが貨物を降ろしている間に、ブロックはアメリカ連合国の首都であるリッチモンドに出向き、海軍長官のスティーヴン・マロリーと会談した。ブロックは海軍の口座で綿花を購入し、これをヨーロッパで売却、その利益で船舶と装備品を購入することを提案し、マロリーはこれを承認した[5]。ブロックは11月23日にサバンナに戻ったが、貨物と石炭の積み込みにさらに1ヶ月を要した。12月23日、封鎖突破を試みたが、サバンナ川河口のティビー島(Tybee Island)を占領した北部海軍がサバンナからの航路を支配しており、それはほとんど不可能であることが分かった。ブロックは1862年1月後半に封鎖突破の見込みがないことをマロリーに報告した。マロリーはフィンガルを他の士官の指揮に委ね、他の方法を見つけてヨーロッパに戻るようにブロックに指示した[6]
装甲艦アトランタ

アトランタ
CSS アトランタ。 R.G. Skerrett画
基本情報
建造所エイサ・ティフトおよびネルソン・ティフト兄弟、サバンナ
運用者 アメリカ連合国海軍
 アメリカ合衆国海軍
艦種砲郭型装甲艦
艦歴
就役1862年11月22日に就役
1863年6月17日に北部海軍により鹵獲、1864年2月に移管
退役1865年6月21日
最期1869年5月4日ハイチに売却、同年12月に沈没
要目
排水量1,006ロングトン (1,022 t)
長さ204 ft (62.2 m)
幅41 ft (12.5 m)
吃水15 ft 9 in (4.8 m)
速力7-10ノット
乗員45 人(士官・水兵計)
兵装7-インチ (178 mm) ブルック砲 x 2
6.4-インチ (163 mm) ブルック砲 x 2
装甲砲郭部:4 in (102 mm)
船体:2 in (51 mm)
操舵室:4 in (102 mm)
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南部海軍アトランタの断面図

1862年の初め、エイザ・ティフト(Asa Tift)とネルソン・ティフト(Nelson Tift)の兄弟が、フィンガルを装甲艦に改造する契約を請け負った。新しい艦の名前はアトランタで、もちろんジョージア州アトランタ市に由来するものであった。サバンナの女性達が資金の多くを負担した[1]。フィンガルは主甲板の部位で切断され、鉄製の砲郭を支えるために船体の左右には大きな木製のバルジが取り付けられた[7]。改造後のアトランタの全長は204フィート (62.2 m)、全幅は41フィート (12 m)となった[8]。船底から甲板までの高さは17フィート (5.2 m)[7]、喫水は15フィート9インチ (4.8 m)となった。排水量は1,006ロングトン (1,022 t)[8]に増加し、このため速度は7-10ノットに低下した[9]

砲郭の装甲は、鉄道レールを圧延して製造した厚さ2インチ (51 mm)・幅7インチ (180 mm)の鉄板を2層に重ねたものであり、水平から30度傾斜していた。外側の鉄板は縦方向に、内側の鉄板は横方向に敷かれた。この装甲を支えるために、基部にそれぞれ7.5インチ (191 mm)厚の松材を2層、その上に3インチ (76 mm) 厚のオーク材を縦方向に貼り合わせてあった。砲郭の下部は水面から約20インチ (508 mm)の高さにあり、最上部は8フィート6インチ (2.59 m)であった。2人分の広さがあるピラミッド型の操舵室も同様の方法で装甲されていた。船体上部も2インチの装甲で覆われていた[10]ワシントン海軍工廠に展示してある、アトランタの7インチブルック砲

砲郭には合計8箇所の小さな砲門が開けられていた。前後に1箇所ずつ、左右に3箇所ずつである。砲門は2インチ厚の鉄板を貼り合わせたシャッターで防護されており、砲の仰角は5-7度程度に過ぎなかった。アトランタの備砲は、前後に旋回式の7-インチ (178 mm)単帯補強型ブルック施条砲、左右中央の砲門用として6.4-インチ (163 mm)単帯補強型ブルック砲施条砲を搭載していた。7インチ砲は17口径長で重量はおよそ15,000ポンド (6,800 kg)であり、ボルト(bolt)と呼ばれた80-ポンド (36 kg)徹甲弾または110-ポンド (50 kg)炸裂弾が使用できた。6.4インチ砲は、18.5口径長で重量9,110ポンド (4,130 kg)、80ポンド徹甲弾または64-ポンド (29 kg)炸裂弾が使用できた[11]。アトランタは艦首に20-フート (6.1 m)長で鋼鉄製の棒で補強された鉄製衝角を有していた。


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