アトム・エゴヤン
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アトム・エゴヤン
Atom Egoyan
エレバン国際映画祭にて (2004年)
本名Atom Yeghoyan
生年月日 (1960-07-19) 1960年7月19日(63歳)
出生地 アラブ連合共和国カイロ
国籍 カナダ
職業映画監督
配偶者アルシネ・カーンジャン
主な作品
エキゾチカ
スウィート ヒアアフター
『アララトの聖母』

 受賞
カンヌ国際映画祭
グランプリ
1997年スウィート ヒアアフター
国際映画批評家連盟賞
1994年エキゾチカ
1997年『スウィート ヒアアフター』
エキュメニカル審査員賞
1997年『スウィート ヒアアフター』
2008年『Adoration』
ヴェネツィア国際映画祭
ヴィットリオ・ヴェネト映画祭賞
2015年手紙は憶えている
ベルリン国際映画祭
インターフィルム賞
1987年『ファミリー・ビューイング』
ジニー賞
作品賞
1994年『エキゾチカ』
1997年『スウィート ヒアアフター』
2003年『アララトの聖母』
監督賞
1994年『エキゾチカ』
1997年『スウィート ヒアアフター』
脚本賞
1994年『エキゾチカ』
脚色賞
2000年『フェリシアの旅
2006年『秘密のかけら
その他の賞
トロント国際映画祭
最優秀カナダ映画賞
1987年『ファミリー・ビューイング』
1991年損害賠償調停員
1994年『エキゾチカ』
1997年『スウィート ヒアアフター』トロント映画批評家協会賞
監督賞
1997年『スウィート ヒアアフター』

備考
第53回ベルリン国際映画祭 審査委員長(2003年)
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アトム・エゴヤン (Atom Egoyan, 1960年7月19日 - ) は、カナダ映画監督脚本家映画プロデューサー俳優である。
来歴

1960年7月19日、亡命したアルメニア人の両親の元、エジプトカイロで生まれる。父親は画家、母親は劇作家であった。3歳の時に一家でカナダに移住する[1]トロント大学国際関係学を学んだ後、映画製作に興味を持つようになり、1977年に最初の短編映画『Lust of a Eunuch』を製作。

1980年代に入り、『ピープショー』(1981年)や『オープン・ハウス』(1982年)などを製作した後、1984年に『Next of Kin』で長編映画監督としてデビューする。1987年の『ファミリー・ビューイング』は翌1988年第38回ベルリン国際映画祭のフォーラム部門に出品され、インターフィルム賞を受賞[2]。同年のジニー賞では作品賞など8部門にノミネートされた[3]。日本では長らく劇場未公開であったが、2004年に開催されたアトム・エゴヤン映画祭2004で上映された[4]。その後製作した『Speaking Part』(1989年)や『The Adjuster』(1991年)はカンヌ国際映画祭の監督週間部門に出品され、高い評価を得た[5]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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