アトスの聖アサナシオス
(アトスの聖アファナシイ)
アトスの克肖者聖神父アファナシイのイコン
克肖者
他言語表記ギリシア語: Αθαν?σιο? ο Αθων?τη?
生誕920年頃
トレビゾンド
死没1000年頃
メギスティス・ラヴラ修道院
崇敬する教派正教会
主要聖地メギスティス・ラヴラ修道院
記念日7月5日(ユリウス暦使用教会ではグレゴリオ暦の7月18日に相当)
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アトスのアサナシオス(ギリシア語: Αθαν?σιο? ο Αθων?τη?, 920年頃 - 1000年頃)は、東ローマ帝国の修道士。トレビゾンドのアサナシオスとも呼ばれる。アトス山に修道共同体を建設、のちにこれが正教会の修道の一大中心地に発展した。
アサナシオスは現代ギリシャ語転写で、古典ギリシャ語再建音ではアタナシオス。日本正教会では教会スラヴ語表記から転写してアトスの克肖者聖神父アファナシイと呼ばれる。 トレビゾンドに生まれる。修道士となる前の名はアヴラアム(ギリシア語: Αβρα?μ[1])。 ミハイル・マリノス(ミカエール・マレイノスとも表記される、ギリシア語: Μιχα?λ Μαλε?νο?))の庇護を受けつつコンスタンティノープルで学び名声を得て、ミハイルの甥ニケフォロス2世フォカスとともに大きな権威を得るに至った。しかしフォカスが帝位に就く頃には首都に住む修道士の弛緩したありように飽き足らなくなったアヴラアムは、名をアサナシオスと改め、ビテュニアのキミナス山の修道士達の生活に加わった。958年にはアトス山に住まいを移した。 アサナシオスは隠遁者
生涯
ニケフォロスの死後、アサナシオスに敵対する者達が優勢となり、ヨアニス1世ツィミスキスの治世になるまで、アサナシオスはアトス山を離れてキプロスに行かなければならなかった。ヨアニス1世ツィミスキスの時代には大ラヴラに対する支援も再開され、設立勅許状が971年に与えられた。神聖な光景を視たことに励まされたアサナシオスはアトス山にもう一度戻り、典院となり、ストゥディオス修道院と大ワシリイ規則書に則って、共住修道院のためのティピコン(奉神礼の規則)を再編集した。
アサナシオスは、崩落した聖堂のクーポルの石造部分の下敷きになって永眠した。アサナシオスは正教会により聖人に列聖され、記憶日は7月5日である。
脚注^ アヴラアム…アブラハムの現代ギリシャ語表記・転写。古典ギリシャ語再建音ではアブラアム。
参考文献
Attwater, Donald and Catherine Rachel John. The Penguin Dictionary of Saints. 3rd edition. New York: Penguin Books, 1993. ISBN 0-140-51312-4.
関連項目
イベリアのヨアネ
外部リンク
⇒HOLY TRINITY RUSSIAN ORTHODOX CHURCH Orthodox Calendar
⇒The Monk Athanasias of Athos
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