アップル対アップル訴訟(アップルたいアップルそしょう)は、ビートルズが所有したアップル・コア(以下「英アップル」)とコンピュータメーカであるアップルコンピュータ(現・Apple、以下「米アップル」)の間で、商標権をめぐり1978年から2006年にかけて何度か行われた法的係争。イギリスの高等法院は2006年5月8日に米アップルの主張を認める判断を下したが、両社は2007年2月5日まで最終的な合意を公表しなかった。 1978年、ビートルズが設立した持株会社であり、そのレコードレーベル「アップル・レコード」の所有者である英アップルは商標権侵害に関する訴訟を米アップルに対して起こした。この訴訟は1981年に決着し、金額は公表されなかったが、英アップル側へ支払いが行なわれた。支払金額は5000万から2億5000万米ドルと見積もられてきたが、後に8万米ドルと判明した[1]。和解の条件として、米アップルは音楽事業へ参入しないことに同意し、英アップルはコンピュータ事業へ参入しないことに同意した[2][3]。 1986年、米アップルはそのコンピュータに MIDI 機能と自動録音機能を追加し、さらに有名なシンセサイザーメーカーであるエンソニック (en:Ensoniq 1991年、約2650万ドルを英アップルへ支払うという内容を含んだ新しい合意がなされた[4]。この時、米アップルの従業員ジム・リークス (en:Jim Reekes 2003年9月、英アップルは米アップルを再び訴えた。今回は米アップルの iTunes Music Store の構築と運用における Apple ロゴの使用に関して契約違反があった、すなわち英アップルが主張するところでは、前回の合意を侵犯しているというものだった。合意で使われた言い回しは、今回のケースでは米アップルに有利に働くと見る向きもあったが[1]、英アップルが勝訴した場合、米アップルはより大きな譲歩を迫られ、英アップルは米アップルに対してより大きな影響力を持つかもしれない、あるいは米アップルは iPod 及び関連事業を別法人へ分離させなければならなくなる、と予想する向きもあった[6]。 2006年3月29日、イギリスの高等法院において、一人の裁判官を前に公判は開始された[7]。冒頭の弁論において英アップルの弁護士は、米アップルが iTunes Store で Apple の名前を使う権利の対価として申し出た100万米ドルを、音楽配信が開始される直前の2003年に、英アップルは拒絶したと述べた。 2006年5月8日、法廷は米アップルの主張を認める採決を下した[8]。マン裁判官は「商標についての合意に対する違反は結局立証されなかった」と述べた[9]。 裁判官は合意の 4.3 項を指摘した。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}4.3 米アップルの使用分野におけるある種の物品もしくはサービスは、英アップルの使用分野におけるコンテンツを送付可能であることに双方は合意する。その場合、英アップルの楽曲や将来の音楽について述べた 1.3項(i)(ii) が定めるところのコンテンツそのもの若しくはコンテンツに関連するものとして、英アップルの商標を使用する若しくは使用を他へ許諾する独占的権利を英アップルが持つ場合であっても、1.3項(i)(ii) で定める事前録音されたコンテンツを載せた物理媒体(例えばローリング・ストーンズの CD)そのもの若しくは物理媒体に関連するものについて、米アップルの商標を使用する若しくは使用を他へ許諾するものでないならば、複製・実行・再生・あるいは何らかの送付に関して、米アップルの使用分野すなわちソフトウェア・ハードウェア・配信サービスについて述べた 1.2 項が定めるところの品々やサービスそのもの若しくはそれらに関連するものについて、米アップルは自らの商標を使用する若しくは使用を許諾する独占的権利を持つ。 米アップルの(iTunes Store における)使用は、これを根拠に正当化されると裁判官は判断した。 これを受けて、英アップルのマネージャであるニール・アスピノールは、この判決を受け入れないとした上で、「裁判所の判断は真摯に受け止めるものの、裁判官は誤った結論を引き出したと我々は考えている。控訴院へ上訴し、再審理に臨みたい。」と述べた。判決は、200万英ポンドと見積もられる米アップルの訴訟費用支払うよう英アップルへ命じていたが、この上訴中に150万英ポンドの仮払いを受けるという米アップルの要求を裁判官は却下した[10]。 余談になるがこの時、英国放送協会へ就職面接に来ていたガイ・ゴーマが、IT ジャーナリストのガイ・キュニー (en:Guy Kewney
商標をめぐる争いの歴史
1978?1981年
1986?1989年
1991年
2003?2006年