この記事は広告・宣伝活動のような記述内容になっています。ウィキペディアの方針に沿った中立的な観点の記述内容に、この記事を修正
してください。露骨な広告宣伝活動には{{即時削除/全般4}}を使用して、即時削除の対象とすることができます。(2020年6月)有限会社アップリンク
UPLINK Company
種類特例有限会社
本社所在地 日本
〒180-0003
東京都武蔵野市吉祥寺南町1丁目15番16号コーワビル201
設立1987年9月10日
業種情報・通信業
法人番号1011002015959
事業内容映画製作・配給、映画買い付け、版権管理、映像ソフト製作・販売、ギャラリー・飲食店運営ほか
代表者代表取締役 浅井隆
資本金1000万円
外部リンクhttps://www.uplink.co.jp/
テンプレートを表示
有限会社アップリンク(英: UPLINK Company)は、日本の映画関連会社。映画配給会社として渋谷で活動を始め、大手映画チェーンが扱わない国内外のアートシネマを上映するミニシアターの運営で注目を集めた[1]。映画の共同製作や映画関連の情報発信でも知られる。 創業者で代表の浅井隆は大阪県出身[2]。父親は繊維会社勤務で転勤族だった[2]。高校を卒業後、18歳で上京し、寺山修司の天井桟敷に参加。寺山が亡くなる1983年まで約10年間舞台監督を務めた[3]。天井桟敷解散後、自ら新しい劇団を立ち上げるも行き詰まり、雑誌制作の仕事などを経て映画業界に入る[1]。 1987年に品川区上大崎にあるアパートの一室で、映画の配給会社を設立。[2][4][5]デレク・ジャーマン監督の『エンジェリック・カンヴァセーション』を、吉祥寺バウスシアターで上映したのが配給作品の第1号となった。1995年には自前のミニシアター「UPLINK FACTORY」を開設[6]。 以後、浅井代表を中心に映画の共同製作などにも進出し、2004年には製作に関わった『アカルイミライ』がカンヌ国際映画祭のコンペティション部門に出品するなど、映画製作の分野でも注目を集めるようになった。
概要
沿革
1990年 - デレク・ジャーマン監督の『ザ・ガーデン』に浅井代表がプロデューサーとして名を連ね[7]、国内で配給する。
1993年 - 書籍『マルコムX自伝』を出版、その売り上げなどを基に渋谷区神南のファイアー通り沿いにある横山ビルの3階に事務所を移す[8]。デレク・ジャーマン監督の『ヴィトゲンシュタイン』、『BLUE ブルー』の制作に参加。12月から映画・音楽・アートなどを扱った隔月月刊誌『骰子』の発行を開始(2000年3月まで)[9]。
1995年 - 10月、横山ビルの5階に映画の上映、イベントなどを行うカフェ・シアター「UPLINK FACTORY」を開設[6]。
2000年 - イギリス・BBCが製作した映画『愛の悪魔/フランシス・ベイコンの歪んだ肖像』に製作参加、第51回カンヌ国際映画祭の「ある視点」部門に正式出品される[10]。製作した映画『I.K.U.』をサンダンス映画祭を皮切りに世界中の20以上の映画祭で上映。映画『ふたりの人魚』を共同製作。
2004年 - 中心となって製作した映画『アカルイミライ』を第56回カンヌ国際映画祭のコンペティション部門に正式出品。ギャラリー「UPLINK GALLERY」を新宿区早稲田鶴巻町に開設。『ロバート・メイプルソープ写真集展』などを行う。7月31日にはミニシアター渋谷に「UPLINK X」を開設する[11]。
2005年 - 渋谷区宇田川町のトツネビル1Fにマイクロ・カフェシアター「UPLINK ROOM」を開設[12]。
2006年 - 渋谷区宇田川町に3つのスクリーンを集約。シアターと飲食店を併設する多目的商業ビルとしてリニューアル。[13][14][15][16]映画『甲野善紀身体操作術』(監督:藤井謙二郎)、映画『ストロベリーショートケイクス』(監督:矢崎仁司)製作。
2007年 - 創立20週年上映イベント『音楽ドキュメンタリー映画祭』を開催。
2008年 - 製作補助をした映画『モンゴル』がカザフスタンからの映画として第80回アカデミー賞外国語映画部門にノミネートされる。文化情報サイト『 ⇒webDICE』を開設。
2011年 - 放射性廃棄物の処理について描くドキュメンタリー映画『100,000年後の安全』を公開。
2014年 - 筑波大学の学生11人が東日本大震災の被災者を撮影したドキュメンタリー『いわきノート