アッティカ地方
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この項目では、ギリシャの地方について説明しています。これに因み命名された小惑星については「アッティカ (小惑星)」をご覧ください。

アッティキ地方
Περιφ?ρεια Αττικ??

ギリシャ
首府アテネ
所属県アッティキ県
人口3,761,810人 (2001年現在)
面積987 km2 (381 sq.mi.)
人口密度3,811人/km2 (9,871人/sq.mi.)
公式サイト ⇒[1]

アッティカ(: Attica, : Attika)は、ギリシャアテネ周辺を指す地域名であり、現在のギリシャ共和国の広域自治体であるペリフェリア(地方)の一つである。古典ギリシャ語でアッティケー(?ττικ? / Attik?)、現代ギリシャ語でアッティキ(Αττικ? / Attiki  発音:[ati?ki])とも表記される。
目次

1 地理

1.1 位置・広がり

1.2 地形


2 歴史

2.1 古代

2.2 中世

2.3 オスマン帝国

2.4 近現代


3 行政区画

3.1 県(ペリフェリアキ・エノティタ)

3.1.1 旧制度



4 関連項目

5 外部リンク

地理
位置・広がり 古代ギリシャの地方図

歴史的なアッティカ(アッティケー)は、アテナイ(現: アテネ)を中心とし、エーゲ海に突き出した三角形状の半島(アッティカ半島)一帯を指す地域名称である。北は16kmにおよぶキタイローン(現: キテロン)の山並みによってボイオーティアと区分されている。南西にサロニコス湾に面し、北東には南エヴィア湾 (South Euboean Gulf) を隔ててエヴィア島(現: エヴィア島)が横たわっている。

プラトンによれば、古代アッティカの領域は、西はコリントス地峡、北はキタイローンの山々やパルニサ山(英語版)によって画され、オロプス(英語版)とアソポス川(英語版)で海に至ったという。

現在の行政区画(ペリフェリア)としてのアッティカ地方(アッティキ地方、Περιφ?ρεια Αττικ??)は、歴史的なアッティカ地方よりも広い範囲を指す。アテネピレウスなどの首都圏があるアッティカ半島のほか、ペロポニソス半島東部のトロイジナ周辺や、ペロポニソス半島南方のキティラ島アンティキティラ島などを領域に含んでおり、面積は3.808 km2である。

現在の人口は370万人であるが、そのうち95%が首都圏に住んでいる。
地形 アテネの3D画像

アテネの近郊には、南西側から時計まわりにアイガレオ山(英語版)、パルニサ山(英語版)、ペンテリ山(英語版)、イミトス山(英語版)の4つの山があり、これらが形づくる丘陵地帯は、アテネ・ピレウス大都市圏の外縁となっている。アッティカ地方の最高峰であるパルニサ山周辺にはマツモミの森が広がっている。イミトス山、ペンテリ山、東南部にある Merenta山(旧名: Myrrhinous)やラブリオ(旧名: ラウリウム)の山々にはマツの植生が広がっており、他の地域は低木でおおわれている。

アッティカ地方は、山々によって Pedias、メソゲイア(Mesogeia, 旧名: Mesogaia)、Thriasion の平野に区分される。メソゲイア平野は、アテネの東方にそびえるイミトス山の東側に広がる平野で、北にペンテリ山、東に南エヴィア湾、南をMerenta山やラリウムの山々によって画される。

アテネの北東、マラトンの近くにあるマラトン湖(英語版)は1920年に作られた人工の貯水池で、アテネの水がめとなっている。

古代アテナイにおいて、アッティカ半島南部のラブリオ(旧名: ラウリウム)は銀鉱山として知られた。また、大理石の産出地であった。

雪を頂くパルニサ山

首都圏の市街地と、山火事が発生しているイミトス山

アッティカ半島南端のスニオン岬

マラトン湖

歴史
古代詳細は「アテナイ」を参照 アッティカは陶器生産の中心地であった。ネッソスと戦うヘラクレスを描いたアッティカ黒絵陶器(紀元前620?610年頃)

古代、アテナイの人々は、自分たちがよそからアッティカに移り住んできた民ではなく、この地にもともと暮らしていた民であったことを誇りとしていた。この伝承は、古典時代に暗黒時代紀元前1200年から紀元前700年頃)を振り返ってつくられたものと考えられている。


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