『アッシジの聖フランチェスコ』(アッシジのせいフランチェスコ、フランス語: Saint Francois d'Assise)は、フランスの作曲家オリヴィエ・メシアンによる3幕(8場)のオペラで、1975年から1983年にかけて作曲された。台本も本人による。アッシジのフランチェスコ(タイトルロール)をテーマとし、作曲家のカトリックへの深い信仰を示す。世界初演は、1983年11月28日に小澤征爾の指揮でパリのオペラ座で行われた。日本では、1986年に小澤征爾指揮、新日本フィルハーモニー交響楽団によるオラトリオ形式での部分初演が行われ[1]、2017年にシルヴァン・カンブルラン指揮、読売日本交響楽団による演奏会形式での全曲初演が行われた[2]。 モーツァルトとワーグナーのオペラの研究を行っていたメシアンは、自分ではオペラを決して作曲しない考えであった。パリ・オペラ座の音楽監督であったロルフ・リーバーマンが1971年にメシアンにオペラを依頼したときも、彼はこれを断わっている。しかしリーバーマンの手配により、当時のフランスの大統領ジョルジュ・ポンピドゥー主催のエリゼ宮の晩餐会に招かれたことで、メシアンは考えを変えることになった。晩餐の終わりに、ポンピドゥーは「メシアンよ、パリのオペラ座のためにオペラを書いてください!」と言ったのである[3]。主題を捜すに当たって、メシアンはキリストの受難または復活を劇化することも考えたが、どちらの主題もふさわしくないと感じ、結局アッシジの聖フランチェスコの人生を劇化することを選んだ。それはキリストの純潔、謙遜、貧困と苦難に対応するものであった。 このオペラの創作過程は、作曲家を苦しめた。メシアンが仕事にとりかかった当初は、これが彼の音楽上の唯一の対象になったので、仕事は急速に進行した。1977年までに、彼はパリ国立オペラの音楽監督と連絡をとり、オペラの編曲前のバージョンを演奏する準備ができたと伝えた。しかしメシアンは1980年までオペラのオーケストレーションができなかった。そして、メシアンが聖フランチェスコについてオペラを書いているとラジオでリークされたことが、プレッシャーを増した。この報道は創作中のメシアンがいつも保っていた秘密の方針を破るものであった。 メシアンは、1979年に最終期限を延長するよう申し入れた。1983年が新しい期限として合意された。しかし、メシアンの健康は悪化し始めていた。1981年に、何度も病気の時期があり、メシアンが計画通りに終えられるかもう一度疑問になってきた。メシアンは憂鬱に苦しみ始め、1981年12月ごろには、もはや作曲を続けることができないと感じていた。しかし、医者が彼に健康回復のために毎日の散歩をするように勧め、彼はサクレ・クール寺院での夕方のミサに出席し始めた。これはメシアンが作曲を継続して完成することを(彼はこれが自分の最後の仕事だと確信していたのだが)助けた。
成立史
楽器編成
木管楽器 - ピッコロ3、フルート3、アルトフルート、オーボエ3、コーラングレ、E♭管クラリネット2、クラリネット(B♭管)3、バスクラリネット、コントラバスクラリネット、ファゴット3、コントラファゴット、
金管楽器 - ホルン6、ピッコロ・トランペット、トランペット3(D管2、C管3)、トロンボーン4、バスチューバ2、コントラバスチューバ、