アッカド語
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アッカド語

????
akkad?
マニシュトゥシュのオベリスクに刻まれたアッカド語の碑文
話される国アッシリア(北部)[1]
バビロニア(南部)[2]
地域近東(国際語として)[3]
メソポタミア[3][4][5]
消滅時期1世紀
言語系統アフロ・アジア語族

セム語派

東方セム語

アッカド語



表記体系楔形文字
言語コード
ISO 639-2akk
ISO 639-3akk
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アッカド語(アッカド語: ????‎, ラテン文字転写: akkad?[注 1])は、「アッシリア・バビロニア語(Assyro-Babylonian)」とも呼ばれ、古代メソポタミアで話されていたセム語派言語。当時は国際共通語でもあった。現在知られる最も古いセム語である。

シュメール語から借りた楔形文字で表記されたアッカド語の碑文や粘土板の資料数はすでに100万点に近く、現在もトルコシリアイラクで発見され続けている。書かれた年代は紀元前2350年頃から西暦1世紀までの約2500年に渡り、その種類も宮廷の書簡、王の記念碑、条約、年代記、法律、『ハムラビ法典』のような法律集成、行政文書、契約書、歴史、数学、医学などの学術書、文法書、辞典、宗教的文献、神話、叙事詩など幅広い[6]
時代区分・方言

アッカド語は歴史・地理的に次のように区分される[7]

紀元前2500年頃 ? 紀元前1950年頃:古アッカド語

紀元前1950年頃 ? 紀元前1530年頃:古バビロニア語(南部) / 古アッシリア語(北部)

紀元前1530年頃 ? 紀元前1000年頃:中期バビロニア語(南部) / 中期アッシリア語(北部)

紀元前1000年頃 ? 紀元前600年頃:新バビロニア語(南部) / 新アッシリア語(北部)

紀元前600年頃 ? 紀元後100年頃:後期バビロニア語

すでに紀元前2600年頃のシュメール語文書にアッカド人の名前が見えている[6]。アッカド語の最古の資料は紀元前2350年頃のものだが、紀元前2200年頃になるとシュメール人の復活によってアッカド語の資料はあまり見られなくなる[8]。古アッカド語の資料はあまり多くなく、その言語については不明な点も多い。紀元前2千年紀にはいると再びアッカド語の資料が増え、西暦紀元後に至るまでとぎれずに資料が存在する。その言語は北のアッシリア語と南のバビロニア語に二大別されるが、両者の違いは主に音韻面にあり、文法や語彙の違いは限定的である。アッシリア学者は両者をそれぞれ約500年ごとに機械的に時代区分している[6]

紀元前1千年紀の中頃にアッカド語はアラム語に圧倒されて、話し言葉として使われなくなったと考えられる。しかしその後も西暦1世紀にいたるまでアッカド語の文章は書かれ続けた[6]

古バビロニア語は古典語として統一的な文法が使用され、紀元前1千年紀にはいっても標準的な文語として使用され続けた(標準バビロニア語と呼ぶ)。『ギルガメシュ叙事詩』『エヌマ・エリシュ』はこの文語で記されている。中期バビロニア語はそれに比べると残っている資料が少ないが、この時代にアッカド語は中東のリンガ・フランカとして使われ、アマルナ文書にはこの言語で書かれたバビロニア、アッシリア、ミタンニヒッタイトキプロスエジプトの350件の書簡が含まれるが、これらの資料の言語はアッカド語話者でない書き手の母語に強く影響されている。新バビロニア語は新バビロニアアケメネス朝時代に使用され、多くの資料が残っている。後期バビロニア語はアケメネス朝末期からセレウコス朝にかけて使用されたが、アラム語の影響が非常に強い[6]

バビロニア語が広く国際的に使われたのに対して、アッシリア語の資料はより限定的である。しかし新アッシリア王国時代に使われた新アッシリア語の資料は豊富に残っており、紀元前7世紀末に王国が滅亡するまで使用された[6]
アッカド語楔形文字

アッカド語の表記は、シュメール語シュメール語楔形文字表記法を借用したものであるが、アッシリアとバビロニアで独立して発達したために両者の間には相当な違いがある。現代の文字表では600字ほどに分けられているが、方言による差異が大きい[9]表語文字表音文字音節文字)、限定符に分類されるが、ひとつの文字が複数の役割を果たすことがある[10]。表語文字は原則としてシュメール語の文字をアッカド語で訓読みする。たとえばシュメール語のLUGAL「王」という文字は、同じ意味を持つアッカド語で?arrumと読まなければならない。表語文字にはしばしば読みを補完するための表音文字が附属する[11]

膠着語的なシュメール語と無関係な屈折語であるアッカド語の表記に楔形文字は不向きであり、またシュメール語にない音の区別は不完全にしか表すことができなかった。例えば無声音有声音強勢音の区別は不完全であり、声門閉鎖音を表記するための専用の文字は中期以降に初めて出現し、母音のiとeもしばしば区別されなかった。また複数の字が同じ音を表す同音性や、逆にひとつの文字が複数の音を表す多音性の問題もあった[12]

CVC型の音節を表記するのにCV-VCのように分けて書く書き方があり、たとえば「王」を意味する?arrumを音節文字で表記するのに、?ar-rum、?a-ar-rum、?ar-ru-um、?a-ar-ru-um、?a-rumなどのさまざまな書き方が可能だった。どの書き方をするかは筆記者の好みによった。母音の長短は古アッカド語と古アッシリア語では区別されなかったが、古バビロニア語は余分な母音字を加える方法が発達した。同様に重子音も子音を重ねることで表記されるようになった[13]
音声

アッカド語は古代に消滅した言語であるため、正確な音声を知ることはできない[14]

セム祖語の29の子音に対して、アッカド語(古アッカド語を除く)は20しか子音がない。セム祖語の「喉音」? /?/, h, ? /?/, ? /?/ および ? /?/は声門閉鎖音のみになり[15]、多くの位置では消滅したと考えられている(古アッカド語では区別されていたという説もある[16])。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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