アチェ統治法
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アチェ統治法
国・地域
インドネシア
形式法律
日付2006年7月11日制定
効力現行法
種類地方自治法
主な内容ヘルシンキ和平合意に基づいたアチェの自治権について
関連法令アチェ州特別自治法
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アチェ統治法(あちぇとうちほう、2006年法律第11号、英:Law on governing of Aceh)はインドネシアの法律。ヘルシンキ和平合意に基づいて2006年7月11日に採択され、アチェの自治権について定めている。
背景と制定までの経緯
アチェ独立運動詳細は「アチェ独立運動」を参照

インドネシアは2002年5月に東ティモールの独立を経験しており、インドネシア政府にアチェ州パプア州の分離独立運動への対応は重要な課題であった[1]。遠藤によれば、この3つの地域の独立運動にはそれぞれ異なる背景が存在した[2]。東ティモールはインドネシアと旧宗主国が異なっており、インドネシアは旧オランダ領だが東ティモールは旧ポルトガル領であり1976年に武力併合されていた[2]。パプア州は人種的な差異があり、インドネシア人はマレー人が多いがパプア州ではメラネシアが多いことが背景にあった[2]。一方、アチェ州の背景にはイスラム教があった[2]。インドネシアはイスラム教徒が約9割を占めているもののイスラム教を国教に指定しておらず[2]、イスラム教、カトリック、プロテスタント、ヒンドゥー教、仏教の5つを公認宗教としていた[3]。アチェ州はイスラム信仰の強い地域であったため、イスラム教を国教に指定していないインドネシアに対し住民は強い不満を抱いていた[2]。また、アチェ州は歴史上「独立」に積極的な傾向がみられるとの指摘があり、例として19世紀後半にはオランダの支配に最後まで抵抗し、1945年からのインドネシア独立戦争ではインドネシア臨時政府の一時的な拠点となり、また1948年からのイスラム教国樹立を目指すダルル・イスラム運動(英語版)に参加したことがあげられている[2]

また、東京大学の西芳美は、GAMと治安当局が対立する中で治安が悪化し暴力事件が多発したため、アチェの人々は護身のためにGAMか治安当局のどちらかの庇護下に入るしかなく、また国際社会がアチェが分離独立するのかインドネシアが統合されるのかという点に注目していたため、国際社会の関心を引くにはGAMを支持して分離独立を求めるのか、それとも中央政府を支持するのかの二択を選ぶ必要があったのだと主張している[4]
アチェ紛争

1959年、首相決定によりアチェ州は「特別州」に指定され、教育、宗教、伝統文化に関する特別な自治が認められたが、この自治権は有名無実化した[2]。1970年代には独立運動が活発になり、その背景には石油と天然ガス採掘の利権があった[2]。1976年、アチェ州の分離独立を目的として自由アチェ運動 (GAM) が結成された[2]1989年スハルト政権はアチェ州を「軍事作戦地域(Daerah Operasi Milite、略称DOM)」に指定した[2]。スハルト政権中はDOM指定は解除されず、次のユスフ・ハビビ政権に移った後の1998年8月に解除された[2]メガワティ大統領が就任した翌月の2001年8月、アチェ州特別自治法が制定され翌年1月に施行された[注釈 1][2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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