アチェ州
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アチェ州
Aceh
?????

州の標語: Pancacita "五つの目標"

座標5° 33′ 0″ N, 95° 19′ 0″ E
州都バンダ・アチェ
知事ノバ・イリアンシャ(インドネシア語版)
面積57,365.57 km2
人口5,281,891 (2019年)
人口密度91.12住民/km2
民族アチェ人(英語版)、ガヨ族、アラス族、Aneuk Jamee, マレー人ジャワ人、クルト族、バタク族ハドラミー
宗教イスラム教 (97.6%)、キリスト教 (1.7%)、ヒンドゥー教 (0.08%)、仏教 (0.55%)
言語アチェ語インドネシア語
時間帯WIB (UTC+7)
ISOID-AC
公式サイト ⇒acehprov.go.id
津波の被害を受けたアチェ

アチェ州(アチェしゅう、インドネシア語: Aceh)は、インドネシアスマトラ島北端に位置する。州都はバンダ・アチェ目次

1 概要

2 地理

2.1 民族・言語


3 司法

4 行政区画

5 歴史

6 出典

7 関連文献

8 関連項目

9 外部リンク

概要

アチェ州は2001年までは「アチェ特別州」、2002年から2009年までは「ナングロ・アチェ・ダルサラーム州」(Nanggroe Aceh Darussalam) と呼ばれていた。

1471年チャンパ王国のヴィジャヤ王朝(英語版)からシャー・パウ・リン(後のアリ・ムハヤット・シャー(英語版))が統治に訪れてイスラムのアチェ王国を興した。そのためアチェ語チャム語回輝語と近い。

サムドラ・パサイ王国やアチェ王国の時代からイスラーム教学の拠点としての歴史があり、インドネシアの中でもイスラーム信仰が強い地域である。古来から外部の支配者に対する激しい抵抗で知られ、オランダとは長いアチェ戦争を戦い、現在のインドネシア政府に対しても、自由アチェ運動が独立を要求して長い内戦状態にあったが、2004年12月26日に発生したスマトラ島沖地震による大津波でアチェが壊滅的な被害を受けたことを機に休戦。2005年8月15日に政府との間で和平協定が結ばれた。その後、独立放棄と武装解除に応じ、インドネシアの「州」であることに同意。アチェ語で国家を意味する「ナングロ」とアラビア語でイスラーム教的な幸福に満ちたという意味の「ダルサラーム」を削ることとなり、2009年4月の州知事令で、正式名称が「アチェ州」に改められた。

北東部をはじめ石油天然ガスなど豊かな天然資源に恵まれるが、2004年末のスマトラ島沖地震に伴う大津波で州都バンダ・アチェを含む西海岸が甚大な被害を受けた。
地理

スマトラ北端に位置するアチェ州は西にインド洋、北にアンダマン海、東にマラッカ海峡に面し、南は北スマトラ州(州都メダン)と接する。

オランダ領東インド時代に民族独立運動のスローガンとなった「サバンからメラウケまで」にあるサバンは、アチェ州に属するウェ島の中心都市である。

アチェ地方は中央を走るバリサン山脈によって東西に大きく二分され、その東側に肥沃な低地平野が広がり、コメの一大生産地として人口が集中している。西側は狭小に密林が連なると同時に海岸線が迫り、居住人口は少ない。

気候は、1年を通じて雨が降り、12月から3月の西風と6月から9月の南東風によって雨季乾季を区別している。
民族・言語

アチェ地方には、アチェ人(英語版)、ガヨ人、アラス人を始めとするマレー系諸民族が住む。そのうち人口の約90%を占めるアチェ人は、一般にスンナ派の中でもシャーフィイー学派に属するムスリムであり、アチェ人の村落集合体の単位であるムキム (mukim) には少なくとも一つのモスクがある。

アチェ地域にはマレー系民族以外にアラブ人の子孫(ハドラミー)も多い。またアチェ・ジャヤ(英語版)地方には青い目と金髪の白人の子孫も住む。その起源はポルトガル系でもないだろう。アチェの習俗に従って暮らしている。

アチェ地方には、大きく分けて4つの言語(アチェ語、ガヨ・アラス語、アヌック・ジャメー語、タミアン語)の他にも各地に方言があり、いずれもオストロネシア語族ジャワ語もこれに含まれる)に属するとはいうものの、互いに意思を疎通することは難しい。

文字は、イスラームのアチェ到来とともにもたらされたジャウィ文字(ムラユ式アラビア文字)を使用している。しかし、インドネシアの独立後、国語と定められたインドネシア語での教育・行政サービスが定着するとともに、アチェでもジャウィ文字よりもラテン文字を使用する世代の割合が急速に高まった。
司法

インドネシアで唯一[1]イスラム法(シャリーア)に基づく州条例を制定する自治権が認められており、飲酒、賭博、売春などイスラム法に違反した者はカーディー裁判によって裁かれる。元来保守派イスラム教徒の住民が大半を占めていることから、インドネシアの他の州に比べて厳しいイスラム法が実施されている。2009年にアチェ州議会でズィナーの罪に石打ち刑を科す条例が可決された[2]。通常の警察のほか、シャリーア警察が存在し、「不道徳行為」を行っている人はいないかをパトロールしている[3]

2015年以降シャリーアの対象がムスリム以外にも適用されるようになり、キリスト教徒が酒を販売したとして、鞭打ちに処されたこともある[4]

鞭打ちは、モスクの外で公開されることが一般的であり、さらに受刑者には野次や罵倒が飛ぶこともある。このため、残酷であるとして国際的な非難がある。インドネシア内でもジョコ・ウィドド大統領が、アチェに公開を止めるように求めている。この流れを受けて2018年4月から、アチェの司法当局は鞭打ちは刑務所内で実施し、公開しない方針を示した[5]。ただし、公開停止の実施がいつになるのかは決まっておらず、少なくとも2018年10月には、公の場で異性と密接に接触していたとして、カップルが公開の鞭打ちに処せられた[5][6]。2018年12月にも、未成年者と婚外交渉をした男に、公開むち打ちが実行された。ただ、通常は金曜の礼拝後のモスクで行われる公開むち打ちは、このときは競技場で開かれ、見物人は僅かだったという[7]。2019年8月1日、屋外で異性と一緒にいたとして、仏教徒1名を含む男女11名に対する公開むち打ち刑が実行された[8]。公開の鞭打ちでは、見物人がカメラで受刑者を撮影したり、「もっと強く」と声が上がったりする[9]
行政区画 アチェ州の市と県


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