アダム航空574便墜落事故
[Wikipedia|▼Menu]

アダム航空 574便2006年に撮影された事故機
出来事の概要
日付2007年1月1日
概要IRSの故障と操縦ミス
現場 インドネシア スラウェシ島西部パレパレ付近の海上
乗客数96
乗員数6
負傷者数0
死者数102(全員)
生存者数0
機種ボーイング737-400
運用者 アダム航空
機体記号PK-KKW
出発地 スカルノハッタ国際空港
経由地 ジュアンダ国際空港
目的地 サム・ラトゥランギ国際空港
テンプレートを表示

アダム航空574便墜落事故とは、2007年1月1日インドネシア格安航空会社アダム航空574便が墜落した事故である。
概要

2007年1月1日、スラバヤ (SUB) 発スラウェシ島マナド (MDC) 行き574便がスラウェシ島のパレパレ (Pare Pare) 付近で失踪し、その後海上へ墜落したことが判明した。慣性航法装置の故障で現在地がわからなくなり、その解決に忙殺されている時に自動操縦が解除されてしまい、機体が右に傾いた。操縦士がそれに気付かずに操縦桿を引き続けたため、機体は急降下し、空中分解した。乗員乗客102名は全員死亡した。1月11日にスラウェシ島近海で残骸や遺体が発見されたが、水深が約2000mあり捜索は難航した。転覆したフェリーの乗客を生存者と間違えたり、アダム航空側が深海探査費用を7か月も出し渋った上に1週間分しか出さないなど、調査は難航した。その後、安全を軽視する会社側の姿勢が問題になり、非難が集中した結果、会社は倒産した。
事故機

事故機はボーイング737-400機体記号:PK-KKW)で1990年に製造され、イギリスのダン・エアーで就航後、同社を吸収したブリティッシュ・エアウェイズイタリアエア・ワン新ユーゴスラビアJat航空などの7つの会社で運行されていた。総飛行時間は45,371時間で法定点検は2005年12月25日に実施され、次回は2007年1月下旬に点検予定であった。

スラバヤ空港の整備担当者は離陸前に技術的問題はなかったと述べた[1]が、事故機は飛行中に右に傾きやすい癖があった[要出典]。

574便の乗員

運航乗務員:2名(機長(47歳)・副操縦士(36歳))

客室乗務員:4名


乗客:96名

離陸から行方不明まで

ジャカルタ発スラバヤ経由マナド行きの574便は、現地時間2007年1月1日12:55(協定世界時では5:55)、96名の乗客(大人85名・子供7名、乳幼児4名)と6名の乗員を乗せてスラバヤのジュアンダ国際空港から離陸した。乗客の大半はインドネシア人であったが、アメリカ人も3人搭乗していた。フライトプランでは目的地のマナドサム・ラトゥランギ空港には現地時間の16:00頃に着陸する予定であった。しかし現地時間14:53、南緯3°13′92″、東経119°9′17″、スラウェシ島の南のマカッサル上空35,000フィート(10,668メートル)を巡航中に航空管制レーダーから機影が消失した。事故機の飛行ルート

事故当時、スラウェシ島上空の天候は荒れており[2]、インドネシアの気象気候地球物理庁は、その地点の雲高は30,000フィート(9,144メートル)、風速は30ノット (15 m/s)程度であったと述べた[3]。インドネシアの航空当局であるPT (PERSERO) ANGKASA PURA I(インドネシア語版)は、気象状況について警告していたが、574便は予定通り出発していた。574便が最後に確認されたスラウェシ島西部のマカッサル海峡では、70ノット (130 km/h)以上の横風が吹いていた。

当初、救援信号が発せられたとの報道がなされていたが、後に誤報であることが判明した。
救援活動インドネシア本島に挟まれたスラウェシ島(明緑)

民間のラジオ放送局「エルシンタ」 (ElShinta) が伝えた最初の報道によると失踪地点はスラウェシ島の山岳地帯で[1][4]、インドネシア空軍は@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}この情報に基づいて[要出典]数百人単位の人員と航空機により捜索活動を行った。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:31 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef