アタルヤ
[Wikipedia|▼Menu]

アタルヤ
?????????
ユダ女王

在位紀元前841年頃 - 紀元前837年頃

死去紀元前837年頃

配偶者ヨラム
子女アハズヤ
王朝オムリ朝
父親北イスラエルアハブ
母親イゼベル
テンプレートを表示

アタルヤ(ヘブライ語: ?????????‎ ?A?aly?)は、ユダ王国の第7代の君主。ユダ王国歴代の王では唯一の女王であり、ダビデ王朝の流れを汲まない、北イスラエル王国のオムリ王朝の流れを汲み、ダビデ王朝を滅ぼそうとした最悪の暴君とされる。名前の由来はヘブライ語で「ヤハウェは権力者」。
略歴

北イスラエル王国のオムリ王朝の流れを汲む王族の出身で、父は旧約聖書にて「北王国の歴代の王の中でも類を見ないほどの暴君」と称されたアハブであり、オムリの孫娘である。ユダ王国第5代の王ヨラムの妻となった。後に、息子である第6代の王アハズヤの戦死を受けて、半ば強引に即位を宣言した。

北イスラエル王国は、サマリアを都としていたことからもわかるように外国文化の影響が強く、その王家から出たアタルヤ自身もユダヤ教より他宗教、特に多神教を崇拝する傾向にあったと言われる。このような出自、宗教背景を持つアタルヤの即位は、ユダ王族はじめ祭司や貴族たちからも強い反感を買うことになった。

反抗を抑えるため、アタルヤはユダ王族の子弟を皆殺しにするが、これはイスラエルの民の存亡を脅かす暴挙として、大きな動揺を引き起こした。メシアダヴィデの血筋から出る、という預言がなされていたためであり、その正統な血筋であるユダ王族の男子を皆殺しにすることは神に対する挑戦であり、ユダヤ2支族への侮蔑でもあった。

このような数々の暴挙により民心を失ったアタルヤは、王族唯一の生き残りヨアシュを擁立した大祭司エホヤダに次第に実権を奪われていった。エホヤダは宮殿の守衛たちの支持を得て、神殿の庭でヨアシュに戴冠をして即位させた。その歓呼の声を聞いてアタルヤは神殿に入ろうとしたが、捕らえられ宮殿で処刑された。

ジャン・ラシーヌはアタルヤを主人公とした「アタリー」(1691)を書いている。
子孫

以降のユダ王国の王はアハズヤの子孫であることからアタルヤの血を引いており、彼女を通して、彼らはオムリアハブイゼベルの子孫でもある。
参考文献

『新聖書辞典』
いのちのことば社、1985年

サムエル・シュルツ『旧約聖書概観』、聖書図書刊行会、1974年










古代イスラエルの王
イスラエル王国

サウル前1000-前961

イシュ・ボシェテ前1000

ダビデ前1000-前962

ソロモン前962-前922

レハブアム前922

ユダ王国

レハブアム前922-前915

アビヤム前915-前913

アサ前913-前873

ヨシャファト前873-前849

ヨラム前849-前842

アハズヤ前842

アタルヤ前842-前837

ヨアシュ前837-前800

アマツヤ前800-前783

ウジヤ前783-前742

ヨタム前742-前735

アハズ前735-前715

ヒゼキヤ前715-前687

マナセ前687-前642

アモン前642-前640

ヨシヤ前640-前609

エホアハズ前609

エホヤキム前609-前598

エホヤキン前598

ゼデキヤ前597-前587

北イスラエル王国

ヤロブアム1世前922-前901

ナダブ前901-前900

バシャ前900-前877

エラ前877-前876

ジムリ前876

オムリ前876-前869

アハブ前869-前850

アハズヤ前850-前849

ヨラム前849-前842

イエフ前842-前815

ヨアハズ前815-前801

ヨアシュ前801-前786

ヤロブアム2世前786-前746

ゼカリヤ前746


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:18 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef