アソシエイツ
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この項目では、スコットランドのバンドについて説明しています。アソシエイトの複数形については「アソシエイト」をご覧ください。

アソシエイツ
The Associates
出身地 スコットランド ダンディー
ジャンルポストパンクシンセポップ、エクスペリメンタル・ポップ、ニュー・ウェイヴ
活動期間1979年 - 1990年1993年
レーベルMCAフィクション、Situation Two、WEA、Circa、ヴァージン
共同作業者The Ascorbic Ones、Mental Torture

旧メンバービリー・マッケンジー
アラン・ランキン
ジョン・スウィニー
ジョン・マーフィー
マイケル・デンプシー
スティーヴ・グールディング
マーサ・ラドリー
マーティン・ロウ
イアン・マッキントッシュ
スティーヴ・リード
ロベルト・ソアヴェ
ジム・ラッセル
スティーヴン・ナイト
ハワード・ヒューズ
モーリッツ・フォン・オズワルド

アソシエイツ(The Associates)は、主に1980年代に活躍したイギリススコットランド出身のバンド。初期はビリー・マッケンジーとアラン・ランキンを中心としたバンド形態で、その後はビリー・マッケンジーのソロ・プロジェクトとして活動した。
来歴
第1期(1979年から1982年まで)

ビリー・マッケンジーとアラン・ランキンは1976年ダンディー市で出会い、キャバレー・デュオ「The Ascorbic Ones」を結成した。その後、「Mental Torture」というバンド名でレコーディングをし、1978年にアソシエイツと改名した。

1979年デヴィッド・ボウイの「Boys Keep Swinging」のカヴァーでデビュー。フィクション・レコードからファースト・アルバム『The Affectionate Punch』を、Situation Twoに移籍してからのシングル集でセカンド・アルバム『碧い幻 (Fourth Drawer Down)』を発表する。

1982年に発表したシングル「Party Fears Two」でブレイクし、「Club Country」「18 Carat Love Affair」とシングル・ヒットに恵まれる。同じ年に彼らの作品で商業的に最も成功したアルバム『サルク』を発表した。しかしワールド・ツアーをめぐる意見の違いからアランと喧嘩別れし、彼はその年の10月に正式脱退した。
第2期(1983年から1990年まで)

アランの脱退後、アソシエイツはビリーのソロ・プロジェクトとして1990年まで活動することになる。アルバム『パーハップス』を1985年に発表後、『The Glamour Chase』に着手する。だが、アルバム制作が遅れた件で当時の所属レコード会社だったWEAと折り合いが悪くなり、1989年に解雇される。それは『The Glamour Chase』を発表する機会を逃すことだった(2002年に発表)。同年にヴァージン・レコード傘下のレーベルに移籍し、アルバム『ワイルド・アンド・ロンリー』を発表した後、ビリーはアソシエイツを名乗ることを止めた。
その後

ビリーはその後、1992年ドイツのダンス・ミュージック・シーンに影響を受けたアルバム『Outernational』をソロ名義で発表したが、あまり当たったとはいえなかった。1993年ベルギークレプスキュール・レーベルなどで仕事をしていたアランと11年ぶりに再会し、アソシエイツ再結成を念頭に置いたデモテープ作りを行った。しかし、ビリーがオーディションやツアーに乗り気ではなく、再結成をすることで束縛されることを怖れたため、再結成はご破算となる。

その後、ビリーはSteve Aungleと組んで音楽活動をしたが、発表の機会に恵まれなかった。1996年に元メンバーでザ・キュアーにも参加していたマイケル・デンプシーや、アポロ440などとの仕事をきっかけにヌード・レコードとの契約をするが、母親が亡くなったことでうつ病が悪化。1997年に自殺する。

彼が亡くなった頃、アソシエイツのアルバムはほとんどが廃盤となった。しかし、マイケル・デンプシーと遺族が旧作や未発表作の発売に尽力したため、長らく幻のアルバムだった『The Glamour Chase』や、再結成時やデビュー前の音源を集めた『Double Hipness』などのレア音源が次々に発売されるようになった。

アランは現在、グラスゴーにあるストウ・カレッジで講師の仕事をしており、生徒の一人が参加していたベル・アンド・セバスチャンのファースト・アルバム『タイガーミルク』の制作をサポートしたことでも知られる。
ディスコグラフィ
スタジオ・アルバム

The Affectionate Punch (1980年、Fiction)

『サルク』 - Sulk (1982年、Associates/Beggars Banquet)

『パーハップス』 - Perhaps (1985年、WEA)

『ワイルド・アンド・ロンリー』 - Wild and Lonely (1990年、Circa)

The Glamour Chase (2002年) ※1988年録音

コンピレーション・アルバム

『碧い幻』 - Fourth Drawer Down (1981年、Situation Two)

『ベスト・オブ・アソシエイツ』 - Popera (1990年、EastWest)
[1]

The Radio 1 Sessions (1994年、Nighttracks)[1]

Double Hipness (2000年、V2)[1]

The Glamour Chase & Perhaps (2002年、Warner Strategic Marketing)[1]


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