アセンとペタルの蜂起
戦争:ブルガリア・東ローマ戦争
年月日:1185年 - 1204年
場所:ブルガリア
結果:第二次ブルガリア帝国の独立
交戦勢力
ブルガリア帝国東ローマ帝国
指導者・指揮官
アセン
アセンとペタルの蜂起は、アセンとペタルの兄弟が指揮した反乱である。 12世紀後半のブルガリアには重税が課せられ、住民の不満が高まっていた。こうした状況の中、クマン系ともワラキア系とも言われるアセンとペタルの2人の兄弟が反乱を組織し、1185年ヴェリコ・タルノヴォでブルガリアの独立を宣言した。(ブルガリア#風土と歴史) 反乱軍はドナウ沿岸を占拠し、トラキアまで攻め込み、ヨハネス・カンタクジノスが率いる討伐軍を撃破した。これを見た皇帝イサキオス2世アンゲロスは自ら軍勢を率いてブルガリアの反乱軍を討伐し、ブルガリア軍をドナウ川以北へ敗走させ、コンスタンティノープルに帰還した。だが、クマン人の援軍を得たペタンとアセンはブルガリア北部を解放した。東ローマ軍はブルガリア軍が立てこもるロヴェチの要塞を攻め立てたが、数ヶ月間たっても攻め落とせず、やむを得ず和約を結びブルガリアから撤退した(ロヴェチ包囲戦
背景
反乱の成功
参考文献
ISBN 4770404565, 森安達也、今井淳子 共訳『ブルガリア―風土と歴史』
更新日時:2019年7月7日(日)08:38
取得日時:2020/11/22 21:52