アスペン市
City of Aspen
アスペン市中心部
位置
左下: コロラド州におけるピトキン郡の位置
右上: ピトキン郡におけるアスペンの市域
座標 : .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯39度11分32秒 西経106度49分28秒 / 北緯39.19222度 西経106.82444度 / 39.19222; -106.82444
アスペン(Aspen)は、アメリカ合衆国コロラド州西部、ロッキー山中に位置する都市。同州ピトキン郡の郡庁所在地である。人口は7,004人(2020年国勢調査)[1]。19世紀後期に銀鉱山の町として創設され、発展したが、1893年の恐慌の影響で銀の生産量は激減、街は寂れていった。しかし20世紀中盤に入ると、この地の良質な雪質を活かしたスキーリゾートとして生まれ変わった。20世紀後半に入ると、富裕層や芸能人などがアスペンに住居や別荘を構えるようになり、通りには高級ブランドのブティックが立ち並ぶ高級リゾート地となっていった。この地に住んだ著名人の中でも、カントリー歌手ジョン・デンバーは、コロラド州の州歌となっている「ロッキー・マウンテン・ハイ」をはじめ、アスペンを題材とした楽曲を数多く発表した。
歴史アスペンの銀鉱山、1898年
1879年、ユート族のネイティブ・アメリカンの蜂起に遭い、当時のコロラド州知事フレデリック・ピトキンの要請を無視して大陸分水嶺を渡って引き返した鉱夫たちは、この地にユート・シティという小さなコミュニティを創設した。翌1880年には、ユート・シティの名はこの周辺に深いヤマナラシの森があったことにちなみ、英語でヤマナラシを意味する「アスペン」(Aspen)に改められた。1881年4月1日には、アスペンは正式な市になった[2]。1890年に銀購入法が施行されると、連邦政府による銀の購入がそれまでの2倍に増加し、市の人口は5,000人を超えた。ピーク時の1891-92年にかけては、アスペンは銀の生産量でレッドビルを抜き、全米最大の銀鉱生産地となった[3]。1893年には、アスペンには銀行、病院、劇場2つ、オペラハウスが揃い、電灯も立てられていた。
しかし、銀鉱の街としての繁栄は長くは続かなかった。1893年に始まった恐慌を受けて、当時の大統領グロバー・クリーブランドは臨時の連邦議会を招集し、銀購入法を撤回した。その影響で、数週間も経たないうちにアスペンの銀鉱山の多くが閉山に追い込まれ、何千人もの鉱夫が失業した。銀を通貨として認める発議が出され、人民党はこれを重要議案の1つとして取り上げた。また、アスペンの地元新聞記者で、世論喚起者でもあった人民党系のデイビッド・ハンソン・ウエイトはコロラド州知事に就任した。しかし、この発議は可決されなかった。
その後も細々と銀鉱石の採掘は続けられたが、給与はカットされ、生産量は減り、街は寂れていった。