アストゥリアス州
[Wikipedia|▼Menu]

アストゥリアス州
Principado de Asturias
Principau d'Asturies
スペイン自治州


州旗


紋章

標語: Hoc signo tuetur pius, Hoc signo vincitur inimicus
州歌: Asturias, Patria querida
noiconヘルプ/ファイル

州都 オビエド
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯43度21分45秒 西経5度51分01秒 / 北緯43.36250度 西経5.85028度 / 43.36250; -5.85028
最大都市 ヒホン
北緯43度31分00秒 西経5度42分00秒 / 北緯43.51667度 西経5.70000度 / 43.51667; -5.70000
公用語カスティーリャ語
 ? その他の言語アストゥリアス語ガリシア語[注釈 1]
行政単位自治州
 ?  スペイン
国会(下院)
国会(上院)
州議会
州首相8議席
6議席
45議席
Javier Fernandez(FSA-PSOE)
下位行政区画78自治体
18司法管轄区
面積第10位
 ? 総計10,603.57 km2(2.1%)
人口 (2011)第13位
 ? 総計1,081,487 人1
 ? 人口密度102 人/km2
住民呼称asturiano/-na[2]
asturianu/-na
GDP(名目)第13位
 ? 総計23.175 mill. ? (2011)[3]
 ? 一人当たり21,976 ?[3]
HDI0.900 (第9位)
ISO 3166-2ES-AS
自治州憲章1982年1月30日
祝祭日9月8日
(アストゥリアスの日[4])
公式サイト
1全スペインの2.34%

アストゥリアス州(アストゥリアスしゅう、西:Principado de Asturias、アストゥリアス語:Principau d'Asturies)は、スペインを構成する自治州の一つ。原語名はアストゥリアス公(Principe de Asturias)の領土を意味する。アストゥリアス州はアストゥリアス県1つからなる一県一州の自治州である。州都はオビエド

イベリア半島の北部に位置し、東はカンタブリア州、南はカスティーリャ・イ・レオン州、西はガリシア州に接し、北岸はカンタブリア海に面している。
地理
地勢山脈中のソミエドの湖

アストゥリアス州の地理の特徴は、起伏の多い海岸線と、内陸の険しい山地である。海岸線は長く、多くの砂浜、入り江、海岸洞窟がある。険しい崖に区切られた美しい砂浜は、リゾート地となっている。山地では、登山、ハイキング、スキー、ケイビングが楽しめる。

州の西から東に連なるカンタブリア山脈は、南のレオン県との自然県境になっている。山脈のうち州東部の部分は、ピコス・デ・エウローパ(直訳では「ヨーロッパの頂」)と呼ばれ、最高峰は2,648mのトレセレド山である。この地域は、アストゥリアス、カンタブリア、カスティーリャ・イ・レオンの3州にまたがるピコス・デ・エウローパ国立公園として保護されている。
気候

アストゥリアスを含むスペイン北部の気候は、中央部や南部に比べて変化に富んでおり、エスパーニャ・ベルデ(緑のスペイン)と呼ばれる。夏は温暖で湿度が高く、晴天が多いが雨も降る。冬は厳しくはないが、急激に冷えることもある。内陸の山地では11月から5月まで雪が降る。年間の降水量は900mm程度で、内陸ほど増える。
人口

アストゥリアス州の人口推移 1900?2010

出典:INE(
スペイン国立統計局)1900年 - 1991年[5]、1996年 - [6]

歴史世界遺産のひとつ、サン・ミゲル・デ・リーリョ教会

アストゥリアスはカンタブリアとともに、険しい地形のためにローマ時代、西ゴート時代を通じて中央の実効支配の及ばない地域であった。8世紀初頭にイスラム勢力に征服されたが、718年ごろに伝説的な王ペラーヨコバドンガの戦いで初めてイスラム軍を破ったといい、のちにこの勝利がレコンキスタの出発点と見なされるようになった。ペラーヨを祖とするアストゥリアス王国カンガス・デ・オニス、のちにオビエドを首都とし、10世紀レオンに遷都してレオン王国となった。

1388年カスティーリャフアン1世は、王子エンリケ(エンリケ3世)に「アストゥリアス公」(Principe de Asturias)の称号を与えた。これが、カスティーリャ王国、のちスペイン王国の王位継承者の称号となり、現在のレオノール王女まで続いている。

19世紀からは炭鉱の開発が進み、鉱工業が発展した。20世紀前半には、アストゥリアスは労働運動の牙城となった。1933年にスペインに右派の政権が誕生すると、1934年10月に労働者が「アストゥリアス革命」を起こした。ひと月の間、三つの異なる勢力が別の地域を治めていた。これを当時無名の将校だったフランコ指揮の政府軍が鎮圧した。フランコはこの時モロッコ兵を使った。国外兵を使うことはフランコの常套手段となる。

アストゥリアスは19世紀の県制度導入によって「オビエド県」となっていたが、1978年憲法によって自治州制度が導入されると、1981年12月30日に一県一州としてアストゥリアス自治憲章が承認された。一県一州となったのは、レコンキスタの出発点という歴史や、産業発展に対する自信によっている。
言語

アストゥリアス州の公用語はカスティーリャ語[注釈 2](スペイン語)だが、アストゥリアス州の固有の言語はアストゥリエス語(アストゥリアス語、伝統的にはバブレと呼ばれた)で、州固有の言語として法律で保護されている[注釈 3]。アストゥリエス語の日常的話者はおよそ10万人で[7]、そのほかに第2言語等で言語能力を有する者が45万人以上いるとされる[8]。話者の多くが山間部の集落に居住する。

アストゥリエス語は、俗ラテン語から変化したロマンス語イベロ・ロマンス語)の一種で、これはイベリア半島の諸言語同様である(バスク語を除く)。カスティーリャ語からの派生ではなくカスティーリャ語と同列だが、しばしばカスティーリャ語(スペイン語)の方言として扱われている。

州西部エオ=ナビア地域ではガリシア語が話されている。
行政区画ペニャス岬と大西洋
主な自治体 (2010年)


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:52 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef