アステル
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パワーアンテナ PX-11(W)ミヨシ製アステル東京の基地局跡(2006年 7月10日撮影、停波後。)AT-15 PHS初のFMラジオ搭載端末 (1997年)

アステル(ASTEL:1995年10月 - 2006年12月)は、かつて存在したPHS事業者アステルグループの総称、およびアステルグループが提供していたPHSのブランド名である。

“テレコミュニケーションの進歩形”を意味する英語「Advanced Style of Telecommunications」の略称として付けられた。「明日の電話」(あすのでんわ〈TEL〉)という意味も込められているとされる。
概要

1995年10月に、NTTパーソナル(後のNTTドコモ(PHS))やDDIポケット(後のウィルコムワイモバイルソフトバンクウィルコム沖縄連合 Y!mobileブランド)に次いでサービスを開始した。電力系通信事業者(実質的には親会社の電力会社)が実質的な母体であり、事業地域は電力事業者の管轄区域と一致する。[1]

サービスの企画・統括を担っていた中核会社のアステル東京には、三井物産および三菱商事住友商事の大手商社、デジタルホンを展開していたJRグループ日本テレコム(後のソフトバンクテレコムソフトバンク)・国際電信電話日本高速通信国際デジタル通信といった当時は非NTT・非DDI系の通信会社(これら企業は現在KDDIソフトバンクに集約されている)と、新規事業を模索していたダイエーリクルート(当時ダイエー子会社)が出資ならびに人材を送り込んでいた。

リクルートからアステル東京へ出向していた柳田要一(現Eストアー取締役)の発案により着信メロディの配信サービスを先駆けて行い、1998年にアステル東京着メロ商標登録した。なお、商標はYOZANが承継した後、競売により権利は他社が取得している。

アステル各社は設立当時から各地域での独自色が濃かった。通信回線も、電力系通信事業者の回線を利用した独自網で展開する北海道・東北・北陸・中部・四国の各社と、NTT回線に依存する東京・関西・中国・九州・沖縄の各社でグループが二分されていた。前者を「接続型アステル」または「独自網アステル」、後者を「活用型アステル」または「依存網アステル」と呼ぶ。

そのため、当初独自網アステルからNTT依存網アステルや他の独自網アステルへのローミングが出来ないなど、他のPHS事業者では起こりえない問題が発生していた。1998年4月にようやく「全国ローミングサービス」により各地方会社の端末および網の間で全国での発着信が可能となったものの、ローミング時の料金体系の相違は最後まで解決されなかった。

また当時のエリアマップを見ると人家の少ない山間部でサービスを行っている地点があった。これは送電施設・発電ダム等の電力会社の施設に付帯して設置されたアンテナによるものであり、電力系通信事業者を母体としていたアステルの特徴だった。
衰退

携帯電話の低価格化とサービスエリアの狭さからPHSの契約数は伸び悩み、1998年にはNTTパーソナルが自主経営を断念したことで、赤字体質が露呈する。アステルグループ会社は、2005年の事業終息まで独立会社として存続した沖縄を除き、経営難などにより1999年のアステル東京を皮切りに順次、母体の電力系通信事業者に吸収合併もしくは事業譲渡ののち法人清算となった。

2002年8月1日には、日本テレコムから東京テレメッセージを2001年に買収したITベンチャー鷹山が、東京通信ネットワークのPHS(東京電話アステル)事業を買収。

それから間もない2002年11月30日に九州通信ネットワークがアステル九州の新規受付を停止。2003年11月19日にアステル九州のサービスが終了し、PHS事業者としては日本国内初のサービス廃止となった。九州地方の撤退を皮切りに、他のアステルグループも一気に事業終了への流れが加速した。
グループの終焉

2004年12月1日をもって全国ローミングサービスが停止し、グループとしての体をなさなくなったことから、アステルグループはこの時点で事実上崩壊した。同日の時点で九州・北海道・北陸・関西がサービスを終了しており、中国も終了が決定していた。また四国・中部・沖縄も新規受付を終了していた。

最後まで新規受付を継続していた東北も、2005年7月28日をもって終了した。

沖縄を除くアステル地域会社ではサービス終了に先立ち、既存のアステル契約者にはウィルコム(旧DDIポケット)のPHSに加え、一部地域会社では携帯電話への移行が行われた。アステル地域会社から契約者宛てに送付されるカタログから希望する電話会社と機種を選んで申し込む形式で、選べる機種は限定された。場合によってはプリペイド式携帯電話への移行もできた。移行により電話番号が変更になった。新規加入手数料・機種代金はアステル地域会社の負担で行われた。ただし東北は、ウィルコムの新規加入手数料については、移行手続きとは別途に東北インテリジェント通信とウィルコム双方で手続きを要し、それがない場合は加入者負担となった。詳細は、アステル東北を参照。また、沖縄の移行方法についてはアステル沖縄#ウィルコム沖縄への営業譲渡までの項を参照。

唯一アステルPHS音声サービスを運営していたアステル東北2006年12月20日に事業を終了[2]し、アステルグループ音声PHSの事業は約12年で完全に幕を閉じた。
サービス
データ通信

1997年PIAFS1.0規格による32kデータ通信サービスを開始。1998年にはデュプレックス型(=センター合成方式)という独自方式での64kbpsデータ通信サービスを開始した。これは2台の端末を使うもので、初期にはデスクトップ機用のアダプタのみ提供され、接続カードと端末がそれぞれ2つ必要とされた。後に、音声端末を接続可能で、単体では 32kbps、音声端末併用で 64kbpsとなるデータ通信カード「AN-X1」が発売された。ただし、2台の端末を使うという点は変わらず、PIAFS2.0/2.1 規格の端末は最後まで発売されなかった。
データ通信定額制

2000年初夏ごろから独自網アステル各社の一部では、その独自網を活用して、各社各様に、定額制のPHSデータ通信サービスを開始した。北海道「定額ダイヤルアップ接続サービス」、北陸・四国「ねっとホーダイ」[3]、東北「おトーク・どっと・ネット」、関西「eo64エア」、中国「MEGA EGG 64」である。最も初期のサービスは、モバイルデータ通信定額制としては現在でもサービスが続いているDDIポケット(現ウィルコム)のAirH"(現AIR-EDGE)よりも一年近く先行して開始された。32kbpsで開始したサービスが多く、また一部には混雑時に時間帯制限を設けているものもあった。これは後に24時間制限無しのサービスも提供された。

また、アステルグループ各社各様に開始したため、サービスエリアが各地方会社のエリア内に限定された。全国サービスエリア展開は叶わず、また提供エリアが主要都市部のみの提供となっているものも多く、2001年8月にAirH"、2003年にアットフリードがスタートすると徐々にその存在感を失っていった。さらにPHS事業自体を終了する事業者が相次ぎ、最後まで残っていたeo64エアも2011年9月30日を以って、サービスを終了した。

なお、アステル関西ケイ・オプティコム)のeo64エアとアステル中国エネルギア・コミュニケーションズ)のMEGA EGG 64は、アステル時の無線帯域免許と基地局およびケイ・オプティコムの光ファイバー設備を活用して誕生したサービスであり、アステルブランドのサービスではない。MEGA EGG 64は2007年2月28日新規受付終了、同年9月30日サービス終了。eo64エアは2010年8月31日新規受付終了、2011年9月30日サービスを終了した。
MOZIO

MOZIO(モジオ)は、PHS音声端末による情報配信サービスとメールサービスの名称。着信メロディサービスに続いて柳田要一が開発に関わり、iモードに先駆けて1998年10月に東京を皮切りにサービスが開始された。PIAFSによる回線交換接続で、通信料は完全従量制、情報利用料は不要。2004年11月30日(東京のメールサービスのみ2005年3月31日)に完全終了した。

MOZIOナビ - MOZIOナビサーバーに接続し、メニューサイトでニュース・天気・占い・ファッションなどの情報閲覧や、アステル提供の「スーパー着メロ」メニューで最大3和音の着信メロディのダウンロードが出来る。メニューサイト数は約70で、情報料課金は行われず通信料のみで利用できた。iモードに先駆けて通話端末に情報コンテンツ配信をしていた。


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