アステカ神話(アステカしんわ、英: Aztec mythology)は、アステカ時代の中央メキシコで伝えられた神話である。
アステカの中心都市であるテノチティトランの建設は14世紀、アステカ帝国の成立は15世紀であるが、メキシコ盆地ではそれよりはるか以前から文明が発達していた。たとえば主要な神のうちトラロックは7世紀以前にさかのぼるテオティワカンに見られる[1]。ケツァルコアトルもテオティワカンに見られ、さらにオルメカ文明にさかのぼる[2]。アステカ神話はテオティワカンやトゥーラの古い神話を引きついでいるものが多いが、それに自らの伝統をつけ加えている[3]。また、アステカ帝国がメキシコ盆地から周辺地域に拡大するに従い、それらの外部の神話も取りこまれていった。たとえばシペ・トテックは元々メキシコ湾岸およびオアハカ地方で信仰されていた神だった[4]。
アステカの宗教にとってもっとも重要なものは太陽崇拝と農業であり、この目的のために人間を犠牲として神に捧げたり、放血儀礼が行われた[3]。ほかのメソアメリカと同様、アステカ暦には260日の周期からなるトナルポワリと365日の周期からなるシウポワリがあり、祭祀と重要な関係を持っていた。この2つの周期が一巡するカレンダー・ラウンドの境目(約52年に一度)には新しい火の祭りという重要な祭祀が行われた。スペイン人の到来以前、最後の新しい火の祭りは1507年に行われた[5]。 アステカの創造神話では世界は今までに5回創造されたと伝えられている。「第5の太陽」と呼ばれる現在の世界に先だつ4つの太陽(=時代)はいずれも滅亡した[6][7][8]。 このように世界が何度も創造されたとするのはメソアメリカ全般に見られ、非常に古い伝統にもとづく[9]。 ケツァルコアトルとテスカトリポカはヘビに変身し、カイマンワニあるいはトラルテクトリを2つに引き裂いた。トラルテクトリの上半身は陸地になり、下半身は天空と星々になった。天地ができた後、ケツァルコアトルは地下のミクトランに降り、地下の神であるミクトランテクトリをだまして第4の太陽で滅亡した人類の骨を持ち帰った。タモアンチャンという楽園で、女神シワコアトルが骨をメタテで粉にひき、神々がその粉に血を注ぐことで新しい人類が生まれた[10][11]。 太陽と月の創造についてはベルナルディーノ・デ・サアグンが詳しく記している[12]。 世界がまだ闇の中にあったとき、神々はテオティワカンに集まり、神を犠牲にささげることで太陽を創造しようとした。裕福なテクシステカトルと貧乏なナナワツィンがその候補になった。テクシステカトルは火を恐れてためらったが、ナナワツィンは勇敢に火の中に飛びこみ、太陽になった。その後テクシステカトルも火に飛びこみ、月になった。神々はその顔にウサギをぶつけた。神々は自らを犠牲としてささげ、風神エエカトルが太陽と月を吹いて動かした[12][11]。 アステカの世界観では、テノチティトランのテンプロ・マヨールを中心として、世界は東西南北の4つに分かれると考えられている。天は13層からなり、その最上層をオメヨカンといった。オメヨカンは両面性を持つ神オメテオトルの住処とされた。地下の世界は9層からなり、その最下層をミクトランといった[13][14]。
創造神話
5つの太陽の伝説
第1の太陽は「4のジャガー」(Nahui Ocelotl)といい、テスカトリポカが主宰し、巨人が支配していたが、ジャガーが巨人を喰い、滅亡した。
第2の太陽は「4の風」(Nahui Ehecatl)といい、ケツァルコアトル(あるいはその風神としての側面であるエエカトル)が主宰し、大風で滅ぼされ、人間はサルになった。
第3の太陽は「4の雨」(Nahui Quiahuitl)といい、トラロックが主宰し、火の雨で滅ぼされ、人間はイヌ、シチメンチョウ、チョウになった。
第4の太陽は「4の水」(Nahui Atl)といい、チャルチウトリクエが主宰し、洪水で滅ぼされ、人間は魚になった。
第5の太陽は「4の動き」(Nahui Ollin)といい、トナティウが主宰する。他の4つの太陽と同様に地震によって将来滅亡し、人間は空の怪物(ツィツィミメ)に喰われると考えられている。
天地と人類の創造
太陽と月の創造
世界の構造
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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