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アジャコング
Aja Kong
2019年、アカデミー新宿FACEにて
プロフィール
リングネームアジャコング
ブラック・サンデー
ザ・アジャ
アジャ宍戸
コング・アジャ
Erica
宍戸 江利花
本名宍戸 江利花(ししど えりか)
ニックネームアジャ様
世界の超獣
アジアのキングコング
宇宙怪獣
ファイティング・プロデューサー
身長165cm
体重108kg
誕生日 (1970-09-25) 1970年9月25日(53歳)
出身地東京都立川市
所属超花火プロレス
WAHAHA本舗
スポーツ歴空手
バレーボール
デビュー1986年
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アジャコング[注 1](本名: 宍戸 江利花〈ししど えりか〉、1970年9月25日 - )は、東京都立川市出身[1]の女子プロレスラー、タレント、女優。血液型O型[2]。芸能活動はWAHAHA本舗に所属。100kgを超える体重から繰り出すパワフルなファイトが特徴。女子プロレスラーの中でもレジェンドと言われる重鎮の一人[3]。 父親が米軍立川基地に勤務していたアフリカ系アメリカ人で、母親は日本人[4]。「江利花」という名前は父親がエリカ属の花から命名した。両親は事実婚だったが、幼少時に父の突然の本国召還のため離別を余儀なくされ、母子家庭に育つ[4]。母は、父との関係を良く思わない親族全てから絶縁されていた。小学5年生の時に立川市から昭島市へ転居。小学校時代から母の勧めで空手を習い始める。中学卒業まで「混血」などとからかわれ毎日のように喧嘩をし、深刻ないじめに悩み続けていたという[注 2]。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}多摩辺中学ではバレーボール部に所属。[要出典] 中学校卒後、全日本女子プロレス(以下「全女」と表記)へ入門。1986年9月17日、秋田県男鹿市体育館の対豊田記代戦でデビュー[注 3]。当時ジャパン女子プロレスでプロデビューした1期生が丁度同期であることから、団体対抗戦ブームの頃には同期対決で活躍した。1990年に母が肝臓癌で死去する事態に見舞われたが、その悲しみをバネに奮起することになった。母の死去の際にはアジャは試合会場にいたが、突然、理由を告げられずに試合の繰上げを申し渡されたことで、母親の死を察したという。その試合開始直後、リング上で対戦相手が涙を流して向かってきた。これは、事前に対戦相手にも繰上げを了承してもらうため事情を説明していたためである。このとき悲しい予感の的中を確信した。[要出典] 若手時代はブル中野率いるヒール軍団「獄門党」の一員であり、新人時代は「極悪同盟」のメンバーで中野の付き人を担当していた。そのため入門当時から現在まで、公私共に中野にとても可愛がってもらっていると本人も度々語っている[注 4]。
所属
全日本女子プロレス(1986年 - 1997年)
フリーランス(1997年 - 2006年)
OZアカデミー女子プロレス(2006年 - 2022年 )
超花火プロレス(2020年 - )
来歴
幼少期
全日本女子プロレス時代