アジア及び太平洋小島嶼開発途上国グループ
各国語表記
Group of Asia and the Pacific Small Island Developing States(英語)
概要国連総会地域グループ
状況活動中
Portal:国際連合
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アジア太平洋グループを構成する国
アジア及び太平洋小島嶼開発途上国グループ(アジアおよびたいへいようしょうとうしょかいはつとじょうこくグループ、英語: Group of Asia and the Pacific Small Island Developing States)は、国際連合における地域グループの一つであり、アジアおよびオセアニアの53か国からなる[1]。通常はアジア太平洋グループ(アジアたいへいようグループ、英語: Asia and the Pacific, Asia-Pacific Group)と略称される。
このグループは、他の地域グループと同様、地域的・国際的な問題に関するテーマを議論する、拘束力のない対話グループである。また、この地域の候補者を指名することで、国連機関の議席配分を支援している[2][3]。 アジア太平洋グループの加盟国は以下の通りである[4][5]。 国連総会の議席の地理的分布の前例は、国際連合の前身である国際連盟において設定された。国際連盟の制度では、理事会の非常任理事国の議席配分のための名簿を作成するために指名委員会が設置されていた[3]。 理事会の議席数は常に変化していたため、これは困難な作業だった。1926年から1933年までの間は、非公式な配分パターンが出現し、理事会の非常任議席は以下のように配分された[3]。 この制度の下では、現在のアジア太平洋グループの加盟国には、極東の非常任1議席と常任理事国である日本の1議席の計2議席しか与えられていなかった。 国際連合憲章の草案作成において、新組織の議席の地理的配分は優先課題の1つとなっていた。アメリカ合衆国の勧告に基づき、第1回国連総会は以下の加盟国で構成された[3]。 この配分は、国連機関の議席配分に地域グループを用いるという前例を生んだものである。例えば、経済社会理事会の第1回選挙では、以下のような方式で議席を配分した[3]。 ただし、これらの取り決めは正式なものではなく、紳士協定に基づいていた。 脱植民地化の波の後、アジア・太平洋諸国からの国連への加盟が相次いだ。1955年のバンドン会議以降、植民地から独立したこれらの国々の間で連帯感が高まり、国連に対しこれらの国々の代表を増やすよう圧力がかけられるようになった。この圧力を受けて、1957年12月12日の決議1192(XII)が採択された。この決議により、アジア諸国とアフリカ諸国に4つの議席を与えるという、一般委員会の議席配分の正式なパターンが確立された[3][6]。 この圧力は、1963年12月17日の決議1991(XVIII)の採択による、安保理と経社理の議席の改革にもつながった。この決議は、安保理の非常任理事国や経社理の理事国の選出方法を正式に定め、アフリカとアジアの国々に対し、安保理は5議席、社経理は7議席を割り当てることを規定した[3][7]。
加盟国
アフガニスタン
バーレーン
バングラデシュ
ブータン
ブルネイ・ダルサラーム
カンボジア
中華人民共和国[注釈 1][注釈 2]
キプロス
朝鮮民主主義人民共和国
フィジー
インド
インドネシア
イラン・イスラム共和国
イラク
日本
ヨルダン
カザフスタン
キリバス
クウェート
キルギス
ラオス人民民主共和国
レバノン
マレーシア
モルディブ
マーシャル諸島
ミクロネシア連邦
モンゴル
ミャンマー
ナウル
ネパール
オマーン
パキスタン
パラオ
パレスチナ国[注釈 3]
パプアニューギニア
フィリピン
カタール
大韓民国
サモア
サウジアラビア
シンガポール
ソロモン諸島
スリランカ
シリア・アラブ共和国
タジキスタン
タイ
東ティモール
トンガ
トルコ[注釈 4]
トルクメニスタン
ツバル
アラブ首長国連邦
ウズベキスタン
バヌアツ
ベトナム
イエメン
歴史
国際連盟
ラテンアメリカ諸国 : 3
スカンジナビア諸国 : 1
小協商諸国: 1
英連邦諸国: 1
極東諸国: 1
スペイン・ポーランド: それぞれ1
国際連合
5か国の常任理事国
ラテンアメリカ諸国: 3
英連邦諸国: 2
東ヨーロッパ諸国: 2
西ヨーロッパ諸国: 1
中近東諸国: 1
5か国の常任理事国
ラテンアメリカ諸国: 4
英連邦諸国: 2
東ヨーロッパ諸国: 3
西ヨーロッパ諸国: 2
中近東諸国: 2
改革
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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