アシュリー・バーティ
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アシュリー・バーティ
Ashleigh Barty


アシュリー・バーティ
基本情報
愛称Ash
国籍 オーストラリア
出身地 オーストラリアクイーンズランド州イプスウィッチ
生年月日 (1996-04-24) 1996年4月24日(28歳)
身長166cm
体重62kg
利き手右
バックハンド両手打ち
ツアー経歴
デビュー年2010年
引退年2022年
ツアー通算27勝
シングルス15勝
ダブルス12勝
生涯通算成績505勝166敗
シングルス305勝102敗
ダブルス200勝64敗
生涯獲得賞金23,829,070 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪優勝(2022)
全仏優勝(2019)
ウィンブルドン(英)優勝(2021)
全米4回戦(2018・19)
優勝回数3回(豪1・仏1・英1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪準優勝(2013)
全仏準優勝(2017)
ウィンブルドン(英)準優勝(2013)
全米優勝(2018)
優勝回数1(米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全豪2回戦(2014)
全仏1回戦(2013)
ウィンブルドン(英)ベスト8(2013)
全米ベスト8(2014)
キャリア自己最高ランキング
シングルス1位(2019年6月24日)
ダブルス5位(2018年5月28日)
獲得メダル

テニス
オリンピック
2021 東京混合ダブルス

2024年5月10日現在■テンプレート  ■プロジェクト テニス

アシュリー・バーティ(Ashleigh Barty、1996年4月24日 - )は、オーストラリアイプスウィッチ出身の元女子プロテニス選手[1]、元クリケット選手[2]。身長166cm、体重62kg。これまでにWTAツアーでシングルス15勝、ダブルス11勝を挙げている。同胞のケーシー・デラクアとペアを組み、4大大会全ての女子ダブルスで1度ずつ準優勝した[3]。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス5位。

グランドスラムにおいて、シングルスで2019年全仏オープン2021年ウィンブルドン2022年全豪オープンを制覇、ダブルスでは2018年全米オープンで優勝している。
生い立ち

政府機関で働く父親のロバートと、レントゲン技師の母親の元に生まれた。父親にはアボリジニの血が流れている[4]。2人の姉がいる。[5][6]

幼少期はテニスのほかにネットボールもプレーしていたが、「女の子のスポーツ」であることと、姉たちに勝てなかったことなどからテニスに絞った[6]。4歳の時から、西ブリスベン・テニスセンターでジム・ジョイスに指導してもらうようになった[7]。ジョイスは通常小さい子どものコーチになることはなかったが、彼女の距離感覚や集中力の高さを見て、例外的に引き受けた[6]

小さい頃は自宅の壁で何時間も壁当てをしていたという。9歳までは6歳の男の子と練習していたが、12歳には成人男子と練習するようになっていた[6]。ナショナルアカデミーでは、15歳から元男子プロ選手のジェイソン・ストルテンバーグを主任コーチに迎え、ヨーロッパ遠征に多く出るようになり、17歳の時には1年の内たった27日しか自宅に帰らなかったという[6][8]
来歴
ジュニア時代

2009年に13歳でITFジュニアサーキットに参戦。15歳の時、2011年ウィンブルドン選手権ジュニア女子シングルスで優勝した。世界ジュニアランキングの最高位は単複ともに2位。
2010-2014年:プロデビュー、ダブルスでグランドスラム準優勝3回

2010年にITF25kの大会でプロデビュー。2012年から本格的にツアー大会への出場を始めたが、シングルスでは好成績を残せなかった。ダブルスではケーシー・デラクアと組み、2013年全豪オープン2013年ウィンブルドン選手権2013年全米オープンの3大会で決勝に進出していずれも準優勝者となった。
2015年:休息

しかし燃え尽き症候群となり、2014年全米オープン後に「テニスから離れる」「若い頃から試合のために旅をし続け、あまりにも忙しかった。ふつうのティーンエイジャーの生活を送り、ふつうの経験をしたい」とツアー離脱を表明[9][10]。実際2015年にはテニスを離れ、クリケット選手としてプレイした。クリケットを本格的にプレーしたことはなかったが、団体競技であることや代表チームと対面したことで興味を持ち、クラブチームのコーチに習いに行った。バーティは最初から能力の高さを見せていたいう[11][12][13][2]

ブリスベントゥエンティ20リーグに所属するローカルチームでプレーした。ここで活躍を見せて13試合に出場、グランドファイナルではチーム最多得点を記録している[14][15]。このパフォーマンスにより、ビッグ・バッシュ・リーグに所属するブリスベン・ヒートと契約[16]。12月のデビュー戦でチーム2番目の得点を決め、その後もレギュラーで出場した[9][17][18]。翌年1月にリーグ終了。
2016年:テニス復帰


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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