アシュリー・コール
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アシュリー・コール

チェルシーFC時代のアシュリー・コール(2013年)
名前
本名アシュリー・コール
Ashley Cole[1]
愛称アッシュ 
ラテン文字Ashley Cole
基本情報
国籍 イングランド
バルバドス
生年月日 (1980-12-20) 1980年12月20日(43歳)
出身地ロンドン タワーハムレッツ区
身長176cm
体重66kg
選手情報
ポジションDFLSB) / MFLSMLWB
利き足左足
ユース
1997-1998 アーセナル
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1998-2006 アーセナル 156 (8)
1999-2000→ クリスタル・パレス (loan) 14 (1)
2006-2014 チェルシー 229 (7)
2014-2015 ASローマ 11 (0)
2016-2018 LAギャラクシー 89 (3)
2019 ダービー 9 (0)
通算508 (19)
代表歴
1999 イングランド U-202 (0)
2002 イングランド U-215 (1)
2001-2014[2] イングランド107 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2019年8月14日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アシュリー・コール(Ashley Cole、1980年12月20日 - )は、イギリスロンドン出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダーミッドフィールダー。元イングランド代表。全盛期は「世界最高の左サイドバック」との呼び声も高かった[3]
経歴
生い立ち?クラブ

母は白人、父はバルバドスからの移民[4]。歌手のマライア・キャリーと親戚関係にある[5]

地元アーセナルの下部組織に加入し、クリスタル・パレスにレンタル移籍した後、アーセナルに復帰。持ち前の突破力と的確なクロスでレギュラーを掴み、2001-02シーズンにはプレミアリーグとFAカップでそれぞれ優勝を収めた。その後、2003-04シーズンの無敗優勝にも貢献し「世界最高の左サイドバック」と言われるほど評価を高めていく。

2006年]8月31日にはウィリアム・ギャラス+700万ユーロのトレードで同じロンドンのライバルであるチェルシーに移籍。この”禁断の移籍”に対してアーセナルファンは大きく反発し、「金目当てで移籍した」「キャッシュリー・コール(キャッシュは金の意味)」と非難されることになった。加入した序盤はあまり馴染めずにいたものの、徐々に順応していった。2008-09シーズンはウェイン・ブリッジが移籍した事もあり、代えの利かないサイドバック選手として活躍し、プレーヤーズ・プレーヤー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。

2009-10シーズンは中盤戦に負傷離脱もあったが終盤に復帰。チームメートのアネルカと共に異なる2つのチームでプレミアリーグとFAカップの二冠を経験した史上初の選手となり、またFAカップ史上最多である6度目の優勝を果たした(アーセナルで3度、チェルシーで3度)。ファン投票による2010年度のイングランド・プレイヤー・オブ・ザ・イヤー 2010の最優秀選手に選出された。

2011-12シーズンにFAカップとUEFAチャンピオンズリーグの二冠を達成。

2013-14シーズンは恩師ジョゼ・モウリーニョが復帰するも、自身の負傷もありセサル・アスピリクエタにポジションを奪われた。シーズン終了後の2014年5月、自身のTwitterで退団を明言した。

2014年7月、ASローマに自由契約で加入決定[6]。契約は2年間。ASローマの歴史上初のイングランド人選手となった。しかし、セリエAの環境になじめず、2015-16シーズン開幕前は、背番号3番を剥奪され、新加入のリュカ・ディニュにつけられるという屈辱を味わった。2016年1月に契約を解除し、正式に退団[7]

2016年1月に、イングランド代表のチームメイトのスティーブン・ジェラードの所属するロサンゼルス・ギャラクシーに加入決定[8]。2018年1月にロサンゼルス・ギャラクシーとの契約を1年間延長した[9]

2019年1月21日、ダービー・カウンティFCとシーズン終了までの契約を結んだ[10]。なおダービーの監督はチェルシーやイングランド代表でチームメイトであったフランク・ランパード。同年6月3日、ダービーは契約を更新しないことを発表し、退団。

2019年8月18日、プロ生活20年目を節目に現役引退を発表した[11]
代表

クラブでの活躍が認められ、2001年3月28日のアルバニア戦でイングランド代表デビューを果たし、2002年の日韓W杯では5試合に出場した。これまでにワールドカップ3大会、EURO2大会に出場している。2013年2月6日のイングランド対ブラジル戦で代表史上7人目の100試合出場達成した。[12]

2014年5月、2014 FIFAワールドカップのメンバー発表前にロイ・ホジソン監督から選外の連絡を受け、自身のTwitterで代表引退を表明した[13]
現役引退後

2019年10月17日、古巣チェルシーのU-15チームのコーチに就任、今後は指導者を目指すことを発表した[14]
個人成績

クラブシーズンリーグカップリーグカップ国際大会その他通算
出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点出場得点
アーセナル1999-0010001000?20
2000-01173601090?333
2001-02292400070?402
2002-0331130009010441
2003-0432040109110471
2004-0535230008010472
2005-0611000003010150
通算156820030451402289
クリスタル・パレス (loan)1999-001410000??141
チェルシー2006-0723050309000400
2007-08271102010010411
2008-09341700080?491
2009-1027420104010354
2010-1138020007010480
2011-123204000120?480
2012-1331150308040511
2013-141020105010260
通算2297280100630803387
ローマ2014-1511020?30?160
2015-160000?00?00
通算11020?30?160
ロサンゼルス・ギャラクシー201629120?10?321
201729110?00?301
201831110?00?321
通算89340?10?943
ダービー2018-19901100?20121


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