アシュラフ・ギルザイ
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後世の画家が想像で描いたシャー・アシュラフ・ホータキーの肖像画

アシュラフ・ギルザイ(???? ?????‎, A?raf ?ilzay、? - 1730年)は、18世紀前半、きわめて短期間(4年弱)ではあるがイーラーン・シャーとしてペルシアを支配したアフガーン人(ここでは「パシュトゥーン人」と同じ意味)の部族の族長である[1][2]。なお、名前は「ギルジー部族の人、アシュラフ」を意味する。
生涯

アシュラフは17世紀末か18世紀初頭に、おそらくはカンダハールのあたりで生まれ、ギルザイ部族連合の一支族、ホータク部族(英語版)の有力家系に属す[1]。アシュラフの父は、1709年にカンダハール地方一帯にホータク部族を中心にした独立政権を打ち立てたミール・ワイス・ハーン・ホータキーの弟、アブドゥルアズィーズ(英語版)である[1]。したがって、ミール・ワイスはアシュラフにとって伯父にあたり、ミール・ワイスの息子、マフムード(英語版)やフサイン(英語版)とは従兄弟同士の関係になる[1]

ミール・ワイスとアブドゥルアズィーズから族長(アミール)の地位を継いだミール・マフムードに従って、アシュラフは、1721年から1722年にかけて行われたサファヴィー朝への侵攻に参加した[1]。カンダハール軍はサファヴィー朝の首都、イスファハーンを数ヶ月包囲(英語版)した後、1722年10月23日に開城させた。シャー・スルターン・フサインは退位、イーラーン・シャー位をマフムードに譲り、捕虜になった[1]。その一方でアシュラフは、部族内のいざこざに対してマフムードが下した裁定に不満があり、イスファハーンを去ってカンダハール地方に戻り、以後数年をそこで過ごした[1]

1725年に、イスファハーンを占領するカンダハール軍の武将たちが、アシュラフをイスファハーンに呼び戻した[1]。アシュラフがイスファハーンに到着するなり、武将たちは陰謀をアシュラフに打ち明けた[1]。精神的に不安定なマフムードよりもアシュラフの方が、お頭に相応しい、とのことだった[1]。アシュラフは1725年4月26日にシャー位に就き、帝位を「譲った」マフムードは退位後3日目に「病死した」ことになっている[1]

1722年のイスファハーンの陥落直後から、サファヴィー朝の旧領では各地で帝位請求者が乱立する事態となっていた[1]。また、ペルシアの政治的混乱を好機と捉えたロシア帝国オスマン帝国も口実をつけてサファヴィー朝のアーザルバーイジャーン地方やカスピ海南岸などに出兵し、領土を切り取ろうとした[2]。地方の帝位請求者らはオスマン帝国の庇護下に入り、サファヴィー朝の復興を目指したが、アシュラフは、スルターン・フサインからミール・マフムード、そして自らへと正統的に受け継がれたイーラーン・シャー位を持つものとして、帝位請求者がオスマン帝国に差し出した領土の返還を主張した[1]

これを罪深い傲慢としたオスマン朝が、アシュラフの政権に対して、1726年に宣戦布告した[1]。アシュラフはその返答として、まず、イスファハーンの宮殿に生かしておいたスルターン・フサインを殺した[1]。次いでイスファハーンの防備を固めてから北西に軍を進め、ホッラマーバードでオスマン軍と会戦し、勝利した[1]。兵数で圧倒的に優勢であったオスマン軍に対し、アシュラフは間者を送り込み、間者に、同じスンナ派を奉じるトルコ人とアフガーン人の同士討ちを嘆かせ、また、「異端」のイラン人に対抗するためトルコ人とアフガーン人が同盟を結ぶべきだと叫ばせた[1]。この作戦が功を奏し、クルド人騎兵たちが寝返り、オスマン軍の士気も下がった[1]。アシュラフは1727年にはオスマン方との戦いを和睦に持ち込み、サファヴィー朝旧領の北西部の領有を請求する権利を放棄する代わりに、自らのシャー位をオスマン帝国に承認させた[1]

ロシアとの戦いはオスマン軍との戦いほどには成功を収めなかったが、それでも1729年にはラシュトで和睦条約を結び、サファヴィー朝の後継としてのレジティマシーがアシュラフにあることをロシア帝国に承認させた[1]。こうしてオスマン帝国とロシア帝国にレジティマシーを承認させたアシュラフは、1729年にはスンナ派のクルド人、ゾロアスター教徒といったマイノリティだけでなく、シャーフセヴァン部族のようなシーア派住民からも支持を受けるようになった[1]

しかしながら、それでもなお、サファヴィー朝の旧領の大多数の住民はアフガーン人を拒絶した[1]


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