アシックス
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株式会社アシックス
ASICS Corporation
神戸市にある本社
種類株式会社
市場情報東証プライム 7936
1972年5月29日上場
本社所在地 日本
650-8555
兵庫県神戸市中央区港島中町7丁目1-1
設立1949年9月1日 (74年前) (1949-09-01)(鬼塚株式会社)
1977年7月21日 (46年前) (1977-07-21)(株式会社アシックス)
業種その他製品
法人番号8140001005877
事業内容スポーツシューズ、用品の製造販売
代表者尾山基代表取締役会長CEO
廣田康人(代表取締役社長COO
資本金239億72百万円
発行済株式総数1億9996万2千株
売上高連結:4040億82百万円
(2021年12月期)
営業利益連結:219億45百万円
(2021年12月期)
純利益連結:94億2百万円
(2021年12月期)
純資産連結:1465億37百万円
(2021年12月期)
総資産連結:3457億73百万円
(2021年12月期)
従業員数連結:8904人
(2020年12月31日現在)
決算期12月末日
主要株主日本マスタートラスト信託銀行(信託口) 6.61%
日本トラスティ・サービス信託銀行(信託口) 5.00%
三菱UFJ銀行 4.16%
三井住友銀行 3.50%
日本生命保険 3.01%
(2018年12月31日現在[1]
主要子会社アシックスジャパン株式会社
アホグロフス
フィットネス・キーパー
レジストレーションロジック
関係する人物鬼塚喜八郎(鬼塚商会創業者)
外部リンクwww.asics.com
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株式会社アシックスは、兵庫県神戸市中央区に本社を置く、競技用シューズやスニーカー、アスレチックウェアなどを製造、販売する日本の多国籍企業

1949年、鬼塚喜八郎が神戸市に鬼塚商会(おにつかしょうかい)を設立、同年改組し鬼塚株式会社(後のオニツカ株式会社)が設立される。1977年、株式会社ジィティオ(1948年設立)、ジェレンク株式会社(1952年設立)の3社と対等合併し、株式会社アシックスが発足[2]
概要アシックスのテニスシューズを使用するノバク・ジョコビッチ

スポーツシューズに強みを持ち、とりわけマラソン競技、バレーボールなどでは高いブランド力を持つ。現在では日本国内の同業界内で売上高一位を誇る。海外売上は年々拡大しており、2015年には海外売上比率76%を達成する等、グローバル企業として高い知名度を誇る。

ブランドコンサルティング会社インターブランドが発表した、日本発のグローバル・ブランド価値評価ランキング「Japan’s Best Global Brands 2016」では、17位に選出された。

オニツカタイガーは、レトロ雰囲気からファッションアイテムとしての人気を呼び、2002年にブランドが復活して一般向けシューズのブランドとして製造販売されている。また1980年代1990年代にスポーツシューズの代名詞として使われたアシックスタイガーも2015年に復活し、当時使われたハイテク素材に加えファッション製の高さで人気を集める。海外にも進出しており、オニツカタイガーが、特に欧米とタイ[3]で人気を集めている。シューズの他、スポーツウェア、アウトドア用品等の製造販売、輸入等も行っている。

東京五輪が開催される2020年末まで、国内最高位スポンサーである「ゴールドパートナー」の契約を東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会と結んだ。

レスリングシューズ「SPLIT SECOND 5」

ランニングシューズ「Gel-Pulse 11」

メンズランニングシューズ「Gel-Cumulus 22」

社名の由来

社名の由来は、古代ローマの詩人ユウェナリスの残したラテン語の句「Anima Sana in Corpore Sano」(もし神に祈るならば、健全な身体に健全な精神があれかし、と祈るべきだ)の頭文字を並べたものである[4][5]
歴史
オニツカ「オニツカタイガー#歴史」も参照旧・アシックス関東支社社屋(東京都墨田区錦糸アシックスジャパン本社社屋(東京都江東区新砂東京都江東区豊洲にあるASICS Sports Complex TOKYO BAYアシックスによる会員制スポーツフィットネス。2019年開業

1949年3月、鬼塚喜八郎が神戸市で鬼塚商会[注釈 1]を設立し、同年9月に改組し鬼塚株式会社を設立する。1950年、最初の競技用スポーツシューズ「バスケットボールシューズ」を発売する[2]

1953年、兵庫県神戸市長田区に専門直営工場タイガーゴム工業所を設立する[2]。同年にマラソンシューズの開発を開始。1959年には靴底に針ほどの小さな穴を開け、空気と熱を外に逃がすエアーベント式を開発しマラソンランナーにとって最大の敵だった足のマメができにくい魔法の靴として絶賛されたマジックランナーを発売。1956年にオニツカタイガーがメルボルンオリンピック日本選手団用のトレーニングシューズとして正式採用され、スポーツ界での知名度はさらに高まった。

1957年、タイガーゴム工業所を組織変更しオニツカ株式会社を設立する[2]1958年(昭和33年)、鬼塚株式会社、販売子会社の東京鬼塚株式会社をオニツカ株式会社が吸収合併し統合する[6]

1961年、毎日マラソン出場のために来日したアベベ・ビキラを鬼塚はホテルまで訪問し「裸足と同じぐらい軽い靴を提供するからぜひ履いてくれ」と説得し、シューズを提供。アベベはその靴を履いて毎日マラソンで優勝。1964年の東京オリンピックでは、オニツカの靴を履いた選手が体操、レスリング、バレーボール、マラソンなどの競技で金メダル20個、銀メダル16個、銅メダル10個の合計46個を獲得[注釈 2]

1963年、株式額面変更のため当時休眠会社の中央産業株式会社(1943年5月27日設立)にオニツカ株式会社が吸収合併され、同日に中央産業株式会社はオニツカ株式会社に商号変更した。1964年2月に神戸証券取引所、同年4月には大阪証券取引所第2部に上場を果たすが、オリンピック景気の落ち込みに対し経営危機となり、1966年には取引先に対し約束手形の支払を繰り延べてもらう事態も生じていたと後に鬼塚は語っている。またこの年、現在まで使用される「タイガーライン」が初めてシューズに装着された。

1966年、それまではオリンピックごとに新たなオニツカマークを発表していたが、社内公募を経てこの年に「メキシコライン(現アシックスストライプ)」が採用された。以後はこのラインが定着し、ブランドを象徴するデザインとなる。

1969年、「コルテッツ」を、後にナイキとなるアメリカ販売代理店 BRS社が販売を開始する。

1972年5月に東京証券取引所第2部、1974年には同1部に指定替えとなった。1975年、西ドイツに現地法人「オニツカタイガーGmbH」を設立し、ヨーロッパ市場に進出する[2]

1976年(昭和51年)、モントリオール・オリンピックにて5,000mでの優勝後、ミリ単位でソールの微調整を依頼し10,000mでも金メダルを獲得したフィンランド代表のラッセ・ビレン選手が脱いだシューズに感謝するかのように両手に掲げてウイニングランを行い、この一件が世界各国で報じられ大きなPR効果をもたらした。
ジィティオ

1948年、株式会社寺西源三商店が大阪府八尾市で設立される。1963年、社名を株式会社ジィティに改称する[2]。ハンモックやスポーツ用ネットに始まり、登山用品やフィッシングウエア及びスキーウエアなどの事業を展開する[7]

1968年、株式会社ヤングマンと合併し、社名を株式会社ジィティヤングに改称する。1974年、株式会社ジィティオに改称する。1975年、大阪証券取引所第二部に上場する[2]
ジェレンク

1952年、臼井一馬が臼井メリヤス製作所を福井県武生市(現越前市)で設立する[2]。スポーツウエアと野球ストッキングを「ケーユーユニオン」ブランドで製造する[7]

1962年、臼井メリヤス製作所が改組し、大阪市天王寺区に臼井繊維工業株式会社を設立する。1969年、臼井繊維工業株式会社が社名をジェレンク株式会社に改称する[2]
3社の対等合併

1977年、スポーツシューズメーカーのオニツカ株式会社、スポーツウェアメーカーの株式会社ジィティオ、ニットウェアメーカーのジェレンク株式会社の3社が対等合併し、総合スポーツ用品メーカー株式会社アシックスが発足する[2]

1985年、神戸市ポートアイランドに地下1階から地上8階建て敷地面積6,600uの新本社ビルを建設。

1990年、アシックススポーツ工学研究所・人財開発センターが竣工。敷地面積は1万6,000uで、研究所内には陸上トラックやプールの他、二種類のテニスコートや実験用体育館など生体工学の見地からスポーツを研究する設備と約100人分の宿泊施設と各種研究施設を完備。黒岩守が入社。

2002年、アシックスの誕生と同時にワンブランド制が導入され封印されていたオニツカタイガーブランドが当時のトレンドだったレトロブームの過熱とファンの要望により復刻され再ブレイク。2003年公開の映画「キル・ビル」では主演のユマ・サーマンが劇中で着用しており、大きな話題を呼んだ。現在でも海外市場において重要なスポーツファッション分野を牽引している。

2007年、ブランドマークを現在のタイプに変更。2008年(平成20年)に世界統一のブランドスローガン「sound mind sound body(サウンド・マインド・サウンド・ボディ)」[8]を制定し、2009年(平成21年)には創業60周年を迎えた。同年2月、皇居前を走る一般ランナー達を中心にショップやシャワーなどの施設を提供し、正しいランニングの指導や最新計測機器による最適なシューズ選びのサポートを行うアシックスストア東京を銀座にオープン。店舗内では走行中の足の運びや三次元の足形計測が可能で、シューズのカスタムオーダーも出来るなど、これまでアシックスが蓄積したノウハウや最新技術の提供を受けられる。

2010年、スウェーデンの大手アウトドア用品メーカー「ホグロフス」を買収し子会社化する[9]

2013年、アシックスジャパン株式会社を設立して国内事業を移管し、アシックス関越販売などの販売子会社をアシックス販売株式会社に統合して、アシックスジャパン株式会社の100%子会社にした(2016年1月、アシックス販売はアシックスジャパンへ吸収合併)[10][11]。同年ブランドの再編が行われ、野球用品において長年結ばれていたローリングスとのライセンス契約を解消し、グラブ・バットなどの全野球用品を「アシックス」ブランドに統一し[12]、「タラスブルバ」[13]「ジェーンリバー」「メスカリート」等の自社アウトドアブランドの販売も終了した。

2015年(平成27年)、アシックスアパレル工業大牟田工場の経営権を帝人の子会社に譲渡する[14]

2019年東京都江東区豊洲に都市型低酸素環境下トレーニング施設「ASICS Sports Complex TOKYO BAY」を開設[15]2022年5月には大阪府吹田市の「オアシスタウン吹田sst」内に「ASICS Sports Complex OSAKA SUITA」を開設する予定である[16][17]。 2022年11月22日、フランスのランナーズサイト、njukoSASを買収[18]
ナイキとの関係


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