「アサヒコーポレーション」はこの項目へ転送されています。「アサヒビール」あるいは「アサヒペン」とは異なります。
この項目では、ゴム靴製造会社について説明しています。
旧・朝日コーポレーション、現・バンダイナムコ傘下の玩具・家電メーカーについては「シー・シー・ピー」をご覧ください。
大手ゴム・タイヤ製造会社については「ブリヂストン」をご覧ください。
アサヒシューズ株式会社
ASAHI SHOES, LTD.種類株式会社
市場情報非上場
略称アサヒ靴
本社所在地 日本
〒830-8629
福岡県久留米市洗町1番地
設立1892年
業種ゴム製品
法人番号9290001048324
アサヒシューズ株式会社は、日本の靴メーカー。本社は福岡県久留米市[1]。ゴム・タイヤメーカーのブリヂストンの源流でもある。 ムーンスター(旧:月星化成)、アキレス等と並んで、ゴム靴メーカーとして知られている。国内では数少ないVP製法(直接加硫圧着式製法)の靴底製造を行える会社でもある。久留米市ではムーンスター、ブリヂストンとあわせて「ゴム三社」と呼ばれている。 1998年3月に経営破綻し、東京地方裁判所に会社更生法適用を申請するが、東京地裁では倒産案件が膨大で迅速な受理が望めなかった。そのため久留米市に本社を再移転させ福岡地方裁判所に会社更生法適用を改めて申請。この年は株式会社創立80周年にあたるが、記念行事は取りやめを余儀なくされた。当時操業中だった製造子会社6社のうち、アサヒゴム加工及び西南旭の2社はその後生産を再開したが、北海道アサヒを含む4社は自己破産し清算に至った[4](後述)。これらを含め、関連企業や取引先等の倒産は全国で52社に及んだ[5]。同時期、ベルマーク運動の協賛を撤退した[注 1]。2001年に更生計画が認可され、再建にあたっては取引先の三井物産やサンリオなど15社から出資等の支援が行われた[6]。また、かつて関連会社だったブリヂストンからも、久留米市内の工場での人員受入れ等の形で協力が行われた[7]。 2016年12月には弁済を終え、2017年3月、福岡地裁から会社更生手続の終結決定を受けた[8]。 1988年6月のCI採用により日本ゴム株式会社から株式会社アサヒコーポレーションに改称するが、企業イメージを明確にするため、2017年4月にアサヒシューズ株式会社へと再改称した[9]。
概要
沿革
1892年 - 石橋徳次郎が久留米市おこん川町(現・久留米市日吉町5-51その他)において仕立物業「志まや」を創業。足袋の製造を始める。
1914年 - 商標として長年使われる、太陽(朝日)を背に波を打つマークが採用される。このマークは、アサヒビールの初代シンボルマーク(社章)と少し似ている。その後、アサヒビールは波の位置をシンボルマークの下側に変更した。
1918年6月 - 会社に改組し日本足袋株式会社を設立。二代目石橋徳次郎が社長、その弟の正二郎が専務取締役にそれぞれ就任。
1922年 - 貼り付け式足袋(地下足袋)発売。
おこん川町(現・日吉町)の創業の地を、第一銀行(のちのみずほ銀行)その他に売却し久留米市洗町(現在地)へ完全移転。