アサヒグループホールディングス株式会社
Asahi Group Holdings,Ltd.
アサヒグループホールディングスの本店が入居するアサヒビール本社ビル
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証プライム 2502
アサヒグループホールディングス株式会社(英: Asahi Group Holdings,Ltd.)は、アサヒビール、アサヒ飲料、アサヒグループ食品などを傘下に持つ持株会社である。日経平均株価およびTOPIX Large70、JPX日経インデックス400の構成銘柄の一つ[3][4][5]。 日本の大手ビールメーカー4社(アサヒ・キリン・サッポロ・サントリー)の内、サッポロが2003年(平成15年)、キリンが2007年(平成19年)、サントリーが2009年(平成21年)にそれぞれ純粋持株会社制度に移行したが、その中でアサヒは最後まで事業持株会社を堅持していた。しかし社会情勢の変化により、2010年8月、アサヒが純粋持株会社制度になることを公表した。そして、2011年7月1日付で旧アサヒビール株式会社(当社)がアサヒグループホールディングス株式会社に商号変更し、旧アサヒビール社の現業全般を会社分割によって新設したアサヒビール株式会社[注釈 1]に移譲させた。 事業子会社はビールなどの酒類を製造・販売する(新)アサヒビール株式会社や清涼飲料水の製造・販売を行うアサヒ飲料、食品・健康食品・医薬品の製造・販売を行うアサヒグループ食品の3社からなる。 白水会や住友グループ広報委員会のメンバーではないが、創業が大阪なことと一時期住友銀行(現:三井住友銀行)から経営再建のため経営陣を送り込まれた関係上、住友グループの企業として扱われることが多い[6]。かつては業績が悪く銀行からの支援が必要不可欠であったため三代目から六代目社長まで住友銀行出向者が務めたが業績が回復してからは生え抜きが社長を務めている。 コーポレート・スローガンは「その感動を、わかちあう。」が使用されていたが、2019年(平成31年/令和元年)より廃止された。
概要
沿革
1889年11月 - 有限責任大阪麦酒会社設立。社長は鳥井駒吉。
1891年 - 吹田村醸造所竣工[注釈 2]。
1893年2月 - 大阪麦酒株式会社に社名変更。
1906年3月 - 大阪麦酒・日本麦酒・札幌麦酒の3社合同により大日本麦酒株式会社を設立。社長は馬越恭平。本店は東京府荏原郡目黒村大字三田247。
1937年 - 高橋龍太郎が社長に就任。
1949年9月1日 - 過度経済力集中排除法及び企業再建整備法の適用を受けた大日本麦酒株式会社の決定整備計画に基づき、朝日麦酒株式会社を設立。初代社長は山本爲三郎。本店所在地は東京都中央区。
1954年8月 - ニッカウヰスキー株式会社に資本参加。
1964年4月 - 北海道朝日麦酒株式会社設立[7]。
1972年3月 - 株式会社三ツ矢ベンディング設立。
1982年3月 - 三ツ矢フーズ株式会社設立。
1984年11月 - 北海道三ツ矢フーズ株式会社設立。
1986年3月 - 住友銀行(現・三井住友銀行)から樋口廣太郎が社長に就任。
1987年4月 - 三ツ矢フーズ株式会社をアサヒビール飲料株式会社に商号変更。
1987年5月 - 西日本アサヒビール飲料株式会社設立。
1987年10月 - 九州アサヒビール飲料株式会社設立。
1987年12月 - 東海アサヒビール飲料株式会社設立。
1988年10月 - アサヒビール飲料製造株式会社設立。
1989年1月1日 - (旧)アサヒビール株式会社に商号変更。
1990年9月 - アサヒビール飲料が、西日本アサヒビール飲料・東海アサヒビール飲料・九州アサヒビール飲料と合併。
1992年3月 - アサヒビール食品株式会社設立。
1994年3月 - アサヒビール薬品株式会社設立。
1996年7月1日 - アサヒビール飲料が、アサヒビール飲料製造・北陸アサヒビール飲料製造と合併し、アサヒ飲料株式会社に商号変更。
2001年4月1日 - ニッカウヰスキーを完全子会社化。
2002年7月1日 - アサヒビール食品とアサヒビール薬品が合併、アサヒビール薬品を存続会社としてアサヒフードアンドヘルスケア株式会社発足。