アサイラム・レコード
[Wikipedia|▼Menu]

アサイラム・レコード
設立1971年 
創業者デヴィッド・ゲフィン
エリオット・ロバーツ 
ウェブサイト ⇒asylumrecords.com 

アサイラム・レコード(Asylum Records)は、デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツにより1971年に設立されたアメリカのレコード会社。
概要

デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツは60年代末頃から、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなどのミュージシャンのマネージメントを行っていた。その中にレコード・デビュー前のジャクソン・ブラウンがいたが、ブラウンはレコード会社となかなか契約を結ぶことができなかった。ゲフィンがアトランティック・レコードアーメット・アーティガンに「ブラウンは金になりますよ」とすすめると、「金なら私は十分にある。どうして君は自分でレコード会社を作らないんだい? そうすれば君自身が金持ちになれるじゃないか」という返事が返って来た。これがきっかけとなりゲフィンは会社を設立することとなった[1]

ゲフィンが最初に声をかけたのは、彼が長い間マネージャーを務めていた友人のローラ・ニーロであった[2][3]。ニーロは一旦承諾したものの、ゲフィンの知らないところでコロムビア・レコードと再契約を交わしてしまう。ゲフィンはニーロの仕打ちに対しショックを受け、何日も泣き暮らしていたという[4][5]

1971年9月15日、アサイラム・レコードから、最初のアルバムであるジュディ・シルの『Judee Sill』がリリースされる。同年10月、グレアム・ナッシュがプロデューサーを務めた「ジーザス・ワズ・ア・クロス・メイカー」がシングルカットされた。レコード番号は「AS-11000」[6]

1973年ニューヨークエレクトラ・レコードと合併し、エレクトラ/アサイラムと社名変更したが、その後もエレクトラとアサイラムは別の事業部として、ニューヨークロサンゼルスで別々にレーベル活動を行っていた。

アサイラムはカントリーロック系、シンガーソングライター系のミュージシャンを多く抱え人気を博したが、それらの音楽が下火となった1980年代には活動が停滞し、1989年にレーベル活動を終了した。アサイラムという名称はその後しばらくの間はカントリーのレーベル名として使われたが、現在はワーナー・ミュージック・グループ内の独立系レーベルの支援を行う部署の名称となっている。
沿革

1971年 
デヴィッド・ゲフィンアトランティック・レコードの出資を得てロサンゼルスに設立。

1973年 ジャック・ホルツマンの引退に伴いエレクトラ・レコードと合併、社名がエレクトラ/アサイラムとなる。新会社の社長はデヴィッド・ゲフィン

1975年 デヴィッド・ゲフィンワーナー・ブラザースに転出。後任の社長はジョー・スミス。

1983年 ジョー・スミスが社長退任。後任はボブ・クラスノウ。

1989年 社内組織の再編によりレーベル名がエレクトラに統一され、社名もエレクトラ・エンタテインメントに変更。

1994年 ボブ・クラスノウが社長を退任。後任はシルヴィア・ローン。

2004年 エレクトラ・エンタテインメントがアトランティック・レコードに併合される。

主なアーティスト


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:21 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef