アサイラム・レコード(Asylum Records)は、デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツにより1971年に設立されたアメリカのレコード会社。 デヴィッド・ゲフィンとエリオット・ロバーツは60年代末頃から、クロスビー、スティルス、ナッシュ&ヤングなどのミュージシャンのマネージメントを行っていた。その中にレコード・デビュー前のジャクソン・ブラウンがいたが、ブラウンはレコード会社となかなか契約を結ぶことができなかった。ゲフィンがアトランティック・レコードのアーメット・アーティガンに「ブラウンは金になりますよ」とすすめると、「金なら私は十分にある。どうして君は自分でレコード会社を作らないんだい? そうすれば君自身が金持ちになれるじゃないか」という返事が返って来た。これがきっかけとなりゲフィンは会社を設立することとなった[1]。 ゲフィンが最初に声をかけたのは、彼が長い間マネージャーを務めていた友人のローラ・ニーロであった[2][3]。ニーロは一旦承諾したものの、ゲフィンの知らないところでコロムビア・レコードと再契約を交わしてしまう。ゲフィンはニーロの仕打ちに対しショックを受け、何日も泣き暮らしていたという[4][5]。 1971年9月15日、アサイラム・レコードから、最初のアルバムであるジュディ・シルの『Judee Sill
概要
1973年にニューヨークのエレクトラ・レコードと合併し、エレクトラ/アサイラムと社名変更したが、その後もエレクトラとアサイラムは別の事業部として、ニューヨークとロサンゼルスで別々にレーベル活動を行っていた。
アサイラムはカントリーロック系、シンガーソングライター系のミュージシャンを多く抱え人気を博したが、それらの音楽が下火となった1980年代には活動が停滞し、1989年にレーベル活動を終了した。アサイラムという名称はその後しばらくの間はカントリーのレーベル名として使われたが、現在はワーナー・ミュージック・グループ内の独立系レーベルの支援を行う部署の名称となっている。
沿革
1971年 デヴィッド・ゲフィンがアトランティック・レコードの出資を得てロサンゼルスに設立。
1973年 ジャック・ホルツマンの引退に伴いエレクトラ・レコードと合併、社名がエレクトラ/アサイラムとなる。新会社の社長はデヴィッド・ゲフィン。
1975年 デヴィッド・ゲフィンがワーナー・ブラザースに転出。後任の社長はジョー・スミス。
1983年 ジョー・スミスが社長退任。後任はボブ・クラスノウ。
1989年 社内組織の再編によりレーベル名がエレクトラに統一され、社名もエレクトラ・エンタテインメントに変更。
1994年 ボブ・クラスノウが社長を退任。後任はシルヴィア・ローン。
2004年 エレクトラ・エンタテインメントがアトランティック・レコードに併合される。
主なアーティスト