アグリガット(独 Aggregat)は、ドイツ国が開発・運用していたロケットシリーズ。開発のコードネームであるアグリガットの原義は、さまざまな構成要素が協調して作用する機械を意味する。[1]A4を兵器に転用したV2ロケットは、特に知られる。 A1(Aggregat 1)は一連の開発の最初のものである。1933年にヴェルナー・フォン・ブラウンがドイツ国防軍の支援の下、ヴァルター・ドルンベルガーが主導するクンメルスドルフ
各型
A1
A2A2ロケット
A2(Aggregat 2)は、A1の発展型であり、フォン・ブラウンによってヴァルター・ドルンベルガーが主導するクンメルスドルフの研究所で1934年に開発された。全長1.6m、胴体直径30.5cm、空虚重量は72キログラム (159 lb)で離陸重量は107キログラム (236 lb)だった。燃料と酸化剤はA1と同じくアルコールと液体酸素を用いて推力は3 kNでA1に似ていた。しかしながら、A1とは対照的に安定用ジャイロスコープはロケット中心部のアルコールタンクと酸素タンクの間に配置され、安定度が増している。
A2は試験のために製造され、ヴィルヘルム・ブッシュの絵本に由来してマックスとモーリッツと称された。1934年、12月19日と20日に北海沿岸のBorkum島で打上げ試験が行われ、高度2.2kmと3.5kmに達した。[2][3] A3(Aggregat 3)は、A2に続いて開発されたロケットで、大型ロケットA4のスケールモデルとして作られた。全長6.2m、胴体直径0.68m、幅0.93m、離陸重量748kg。流線形の本体に加え、尾部に安定翼を持つ。燃料と酸化剤はアルコールと液体酸素、燃焼時間は最大45秒。1937年12月に行なわれた4回の打上げ試験は、誘導装置に起因する燃焼制御の不調で全て失敗した。これにより改良型のA5の開発が開始されることとなった。 A3の開発は1935年2月にErnst Ritter von Horstigがカール・ベッカー将軍におよそ50万マルクを送り、2基の新型試験設備を設置した事で可能になった。これには移動式試験櫓、小型機関車と事務所と倉庫が含まれた。A3の計画では慣性誘導装置と推力1,500 kg (3,300 lb)のエンジンを備えることとした。[4] 1936年3月、陸軍のヴェルナー・フォン・フリッチュ将軍はクンメルスドルフでのA3の地上試験を視察して感銘を受けてロケット計画を支援した。[5][6] 初期のA1とA2ロケットと同様にA3も加圧供給式推進剤供給装置を使用して同じ液体酸素と75%のアルコール溶液を初期の設計として使用した。推力14.7 kN (3,300 lbf)を45秒間生み出した。3台のジャイロスコープシステムでタングステン合金の噴射偏流翼で推力を偏向した。[7] この設計について1936年の春に秘密裏に特許を取得して超音速域での安定性を高めるために更に改良され、秋に完成した。[8] ペーネミュンデからの最初のアグリガットの打ち上げは[9]1937年12月4日にライトハウス作戦
A3
同じ資料によると1機のA3は最大降下速度が12 km (7.5 mi)で最大高度は18 km (11 mi)だった。[11]
フォン・ブラウンとドルンベルガーはそれぞれの打ち上げ失敗の原因を追求した。当初はパラシュートの静電気が原因かと思われたが、結局、不完全な設計の慣性誘導装置と機体と安定翼の設計の軽微な不安定性が原因であるとされた。[10]
これら一連の失敗の後、A3は破棄され、A5として再設計された。一方でA4の作業は継続された。[12]
仕様全長: 6.74 m (22.1 ft)直径: 0.68 m (2.2 ft)安定翼幅: 0.93 m (3.1 ft)打ち上げ重量: 748 kg (1650 lb)燃料・酸化剤: エチルアルコールと液体酸素離陸推力: 14.7 kN (1500 kgf)
A4詳細は「V2ロケット」を参照
A4(Aggregat 4)は、A3の失敗を踏まえ、その改良型のA5をベースに大型化したものである。後に実用兵器のV2ロケットに転用された。
A3の失敗により改良型A5が1938年から開発されていた。A5は安定した性能を見せ、1941年までに70回以上の燃焼試験が行なわれた。A4の初打上げは1942年3月のことである。A4の開発は進み、1943年からはV2ロケットとして量産が開始された。V2は全長14.0m、胴体直径1.65m、全幅3.56m、重量12.5t。燃料と酸化剤にはエタノールと液体酸素を用い、1tの高性能爆薬の弾頭を搭載、射程320kmを有していた。ドイツだけで5,200基が生産された。
A4(潜水艦発射式)ロケッテン U-boat(英語版)
A4には、潜水艦発射弾道ミサイルとして運用する構想もあった。アメリカ合衆国本土攻撃用に構想されたもので、耐圧カプセルにA4を搭載し、Uボートでアメリカ合衆国沿岸まで水中を曳航、アメリカ近海でロケットを発射するというものである。この構想は実用化にまで至らなかった。 A4(Aggregat 4b)は、A4の発展型でA4に固定翼を追加したものである。1939年には、ロケットへ大型固定翼を追加することにより、弾道飛行終末段階は滑空し、射程などを向上させることが提唱されていた。このA4改良型開発の名目で得た予算の一部は、長距離大型ロケットであるA9/A10の基礎開発にもあてられた。A9/A10の開発は1942年に予算の割り当てが中止されていたものであった。A9においても固定翼を追加し、射程延伸が考慮されていた。A4改良型のA4b試作機完成は1944年12月のことである。A4bには胴体中ほどに後退翼が取り付けられていた。初の試射成功は1945年1月のことであり、終戦までに実用化へは至らなかった。 A5(Aggregat 5)は、A3の失敗を踏まえ、開発されたA4のスケールモデル・ロケットである。機体外形は洗練され、流線形の胴体に4枚の安定翼が付けられている。このデザインはA4にも受け継がれた。外形のみならず、誘導装置に改良が加えられた。全長5.82m、胴体直径0.82m。燃料と酸化剤はアルコールと液体酸素である。1938年から打上げ試験が開始され、A4の開発のための空気力学と技術の試験で重要な役割を果たした。ロケットエンジンはA3のエンジンに新しい制御装置を備え、A4に似た形状だった。25機が打ち上げられ、数回はパラシュート回収装置と船舶で回収するまで最大2時間沈まない浮きを備えた。空中投下試験用に推進装置を備えない型と一液推進系エンジンを備える型の両方が製造された。A5は1942年まで試験に利用された。 A5は全長5.825 m (19.11 ft)、直径0.78 m (2 ft 7 in)で離陸重量は900 kg (2,000 lb)でA3と同様に、燃料としてアルコールを、酸化剤として液体酸素を使用した。1938年の夏にGreifswalder Oie A6(Aggregat 6)は、A5に異なる推進剤を使用するために1940年頃構想されたもので、燃料にケロシンとニトロ系を使用するものであった。A4bと同様に、胴体中ほどに固定翼を有する。これは構想のみに終わっている。[13] 複数の資料では同様に有人の偵察用であるA4の有翼版のA4bの検討のために計画されたとされる。
A4b
A5
A6