アグフア・ゲバルト株式会社
Agfa-Gevaert NV
種類株式会社
市場情報Euronext: AGFB
アグフア・ゲバルト株式会社(オランダ語: Agfa-Gevaert NV)[1]は、印刷機材、医療機器、マイクロフィルム、ポリエステルなどを製造するベルギーおよびドイツの企業である。元来は写真用品を製造する企業であったが、すでに撤退した。本社所在地はモルツェル(英語版)である。
1981年から1999年まではドイツの総合化学薬品メーカーであるバイエルの子会社であった。
2004年以降の写真事業 ⇒ アグファフォト・ホールディング アグフアは1867年にドイツ・ベルリンで作曲家であるフェリックス・メンデルスゾーンの息子、パウル・メンデルスゾーン・バルトルディとカール・アレクサンダー・フォン・マルティウスの2人が創業した[2]化学薬品メーカーである。名前の由来は「アニリン製造株式会社」(Aktien gesellschaft fur Anillinfabrikation)の頭文字を採ったもの。 1892年に発売された希釈式現像液ロジナール
アグフア・ゲバルトの成立
アグフア
1925年リーチェルを合併してフィルム式カメラも製造販売に乗り出した。
1936年に現在ポジフィルムとして一般的な方式となっている多層発色内式反転フィルムとして世界初のアグフアカラー・ノイ(英語版)を発売、世界初のネガカラーフィルムプロセスを開発し、1939年にはネガカラーフィルムプロセスによるアグファカラーネガフィルムを販売するなどカラーフィルム開発にも大きな足跡を残している。
かつて、同じドイツの同業者であるBASFのOEMでカセットテープを販売しており、磁気媒体部門は後にOEMを受けていたBASFと合併した。 ゲバルトは、正式名称ゲヴァルト写真製造(オランダ語: Gevaert Photo-Producten N.V.)は、1894年にベルギー・アントウェルペンで「リーヴェン・ゲヴァルト商会」(フランス語: Lieven Gevaert et Cie.)として創業した印画紙メーカーである。「ゲバフィルム」等の映画用フィルムや、少数ながらカメラも製造していた。名前の由来は創業者であるリーベン・ゲバルト(リーフェン・ヘファールト)から。 アグフアとゲバルトは1964年に事業統合してアグフア・ゲバルトが誕生し、世界第3位の写真フィルムメーカーとなった。事実上の合併であるが、ベルギーで外国企業との合併が禁止されていたため、ドイツとベルギーでそれぞれ「アグフア・ゲバルト」を設立する形を採った。 1983年にカメラ事業から撤退した。以後のアグフアブランドのカメラは全てOEM供給を受けている。詳細は「アグファフォト・ホールディング」を参照 デジタルカメラの普及で販売額が減少し、2004年11月アグフア・ゲバルト幹部社員らが設立した別会社アグフアフォト(Agfa Photo)にフィルム部門を売却、撤退した。アグフアフォトはアグフア・ゲバルトから商標を借り受けてアグフアブランドのフィルムの生産を続行していたが、2005年5月27日に破産申請を行った。 その後、独 ⇒Hans O. Mahn & Co. KG社がアグフアブランドのモノクロフィルム・印画紙事業を引き継いだほか、ドイツの ⇒LUPUS IMAGING & MEDIAがアグフアフォトブランドのフィルムやメモリカードを発売している。また日本ではSuperHeadzブランドでロモLC-A
ゲバルト
事業統合
写真事業の衰退
さらに「アグフアフォト」ブランドのデジタルカメラを日本のエグゼモードが販売していた。 日本アグフア・ゲバルト株式会社
日本法人
Agfa-Gevaert Japan, Ltd.
種類株式会社
市場情報非上場
略称日本アグフア、アグフア
本社所在地 日本
〒141-0032
東京都品川区大崎1-6-1 大崎ニューシティ1号館5階
設立1950年12月27日
事業内容製版・印刷業界向けワークフローシステム、CTPシステム、フィルム・プレートなどの消耗材
産業用UVインクジェットシステムの販売
代表者岡本勝弘
資本金4億9,950万円
従業員数100名 (2020年1月現在)
主要株主アグフア・ゲバルト
関係する人物増谷麟
ウォルター・ストーク
イングバート・シュミッツ
フィリックス・ステューダー
外部リンク ⇒apogee-users.jp
特記事項:略歴
1950年 日独通商株式会社
1958年 日本アグフア株式会社
1965年 現社名
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日本アグフア・ゲバルト株式会社(にほんアグフア・ゲバルト)は、1950年(昭和25年)12月27日に設立されたアグフア・ゲバルトの日本法人である[1]。 1925年(大正14年)、写真機・写真フィルム等の輸入販売のためにアグフア合名会社が設立されたのが、日本法人の最初である[3]。それ以前は、各社が代理権を更新していた[3]。 現在の日本法人の前身は、1950年(昭和25年)設立の日独通商株式会社(にちどくつうしょう)である[3]。初代社長は増谷麟、1956年(昭和31年)まで同職を務めた。1958年(昭和33年)には、アグフアが60%出資し、日独通商が日本アグフア株式会社(にほんアグフア)と改称した[3]。同年に製作・公開された日本映画『彼岸花』では、監督の小津安二郎が自らの初めてのカラー映画に対し、「アグフアカラー」をチョイス、以降、遺作の『秋刀魚の味』(1963年)までの6作を、アグフアカラーで撮影した[4]。 前年の合併によるアグフア・ゲバルト成立を受けて、1965年(昭和40年)には、現社名に改称している[3]。 1990年(平成2年)、コパル(現在の日本電産コパル)との合弁会社アグフア・コパル株式会社を設立している[3]。1999年(平成11年)、アグフア・ゲバルトが上場し、日本法人は日本のバイエル・グループから離脱した[3]。それを機に、日本法人の代表が、ウォルター・ストーク
略歴・概要