アグフア・ゲバルト
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アグフア・ゲバルト株式会社
Agfa-Gevaert NV

種類株式会社
市場情報Euronext: AGFB
略称アグフア
本社所在地 ベルギー
モルツェル(英語版)
設立1867年
代表者クリスチャン・レノード(英語版)
営業利益29億4,800万ユーロ (2010年)
純利益1億0,500万ユーロ (2010年)
従業員数11,766人 (2010年12月)
関係する人物パウル・メンデルスゾーン
カール・アレクサンダー・フォン・マルティウス
2人とも創業者
外部リンク ⇒agfa.com
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アグフア・ゲバルト株式会社(オランダ語: Agfa-Gevaert NV)[1]は、印刷機材、医療機器マイクロフィルムポリエステルなどを製造するベルギーおよびドイツの企業である。元来は写真用品を製造する企業であったが、すでに撤退した。本社所在地はモルツェル(英語版)である。

1981年から1999年まではドイツの総合化学薬品メーカーであるバイエルの子会社であった。

2004年以降の写真事業 ⇒ アグファフォト・ホールディング
アグフア・ゲバルトの成立
アグフア

アグフアは1867年ドイツベルリンで作曲家であるフェリックス・メンデルスゾーンの息子、パウル・メンデルスゾーン・バルトルディとカール・アレクサンダー・フォン・マルティウスの2人が創業した[2]化学薬品メーカーである。名前の由来は「アニリン製造株式会社」(Aktien gesellschaft fur Anillinfabrikation)の頭文字を採ったもの。

1892年に発売された希釈式現像液ロジナール(英語版)が好評で、2007年までの実に115年販売されるロングセラーとなった。ロジナールは現在、2003年に新たに設立されたアドックスがアグファの最新のレシピに基づいてリメイクした『ADOX RODINAL』を製造しているほか、旧東ドイツのORWOが製造していたロジナール『ORWO R09』を、1950年代のレシピに基づいてリメイクした『ADOX APH-09』を製造している。またロジナールの特許が既に切れていることから、『R09』銘でアグファのレシピに基づいて製造している会社があり、ネット上にはロジナールを自家調合する為の方法を公開した動画やサイトが存在する。

1925年リーチェルを合併してフィルム式カメラも製造販売に乗り出した。

1936年に現在ポジフィルムとして一般的な方式となっている多層発色内式反転フィルムとして世界初のアグフアカラー・ノイ(英語版)を発売、世界初のネガカラーフィルムプロセスを開発し、1939年にはネガカラーフィルムプロセスによるアグファカラーネガフィルムを販売するなどカラーフィルム開発にも大きな足跡を残している。

かつて、同じドイツの同業者であるBASFOEMカセットテープを販売しており、磁気媒体部門は後にOEMを受けていたBASFと合併した。
ゲバルト

ゲバルトは、正式名称ゲヴァルト写真製造(オランダ語: Gevaert Photo-Producten N.V.)は、1894年にベルギー・アントウェルペンで「リーヴェン・ゲヴァルト商会」(フランス語: Lieven Gevaert et Cie.)として創業した印画紙メーカーである。「ゲバフィルム」等の映画用フィルムや、少数ながらカメラも製造していた。名前の由来は創業者であるリーベン・ゲバルト(リーフェン・ヘファールト)から。
事業統合

アグフアとゲバルトは1964年に事業統合してアグフア・ゲバルトが誕生し、世界第3位の写真フィルムメーカーとなった。事実上の合併であるが、ベルギーで外国企業との合併が禁止されていたため、ドイツとベルギーでそれぞれ「アグフア・ゲバルト」を設立する形を採った。
写真事業の衰退

1983年にカメラ事業から撤退した。以後のアグフアブランドのカメラは全てOEM供給を受けている。詳細は「アグファフォト・ホールディング」を参照

デジタルカメラの普及で販売額が減少し、2004年11月アグフア・ゲバルト幹部社員らが設立した別会社アグフアフォト(Agfa Photo)にフィルム部門を売却、撤退した。アグフアフォトはアグフア・ゲバルトから商標を借り受けてアグフアブランドのフィルムの生産を続行していたが、2005年5月27日に破産申請を行った。

その後、独 ⇒Hans O. Mahn & Co. KG社がアグフアブランドのモノクロフィルム・印画紙事業を引き継いだほか、ドイツの ⇒LUPUS IMAGING & MEDIAがアグフアフォトブランドのフィルムやメモリカードを発売している。また日本ではSuperHeadzブランドでロモLC-A(英語版)やホルガを販売しているパワーショベルがLUPUS IMAGING & MEDIAと業務提携を締結、日本でのアグフアブランドの日本総代理店となり、35mmフィルムの販売や、本国では生産されていない110/120フィルムを独自に再生産することを発表している。名前だけが「アグファフォト」と残るが、中身はモノクロがドイツのマコ、ビスタはイタリアのフェッラーニアのOEMである。発表後120フィルム発売は白紙になった。

さらに「アグフアフォト」ブランドのデジタルカメラを日本のエグゼモードが販売していた。
日本法人

日本アグフア・ゲバルト株式会社
Agfa-Gevaert Japan, Ltd.

種類株式会社
市場情報非上場
略称日本アグフア、アグフア
本社所在地 日本
141-0032
東京都品川区大崎1-6-1 大崎ニューシティ1号館5階
設立1950年12月27日
事業内容製版・印刷業界向けワークフローシステム、CTPシステム、フィルム・プレートなどの消耗材
産業用UVインクジェットシステムの販売
代表者岡本勝弘
資本金4億9,950万円
従業員数100名 (2020年1月現在)
主要株主アグフア・ゲバルト
関係する人物増谷麟
ウォルター・ストーク
イングバート・シュミッツ
フィリックス・ステューダー
外部リンク ⇒apogee-users.jp
特記事項:略歴
1950年 日独通商株式会社
1958年 日本アグフア株式会社
1965年 現社名
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日本アグフア・ゲバルト株式会社(にほんアグフア・ゲバルト)は、1950年(昭和25年)12月27日に設立されたアグフア・ゲバルトの日本法人である[1]
略歴・概要

1925年(大正14年)、写真機・写真フィルム等の輸入販売のためにアグフア合名会社が設立されたのが、日本法人の最初である[3]。それ以前は、各社が代理権を更新していた[3]

現在の日本法人の前身は、1950年(昭和25年)設立の日独通商株式会社(にちどくつうしょう)である[3]。初代社長は増谷麟、1956年(昭和31年)まで同職を務めた。1958年(昭和33年)には、アグフアが60%出資し、日独通商が日本アグフア株式会社(にほんアグフア)と改称した[3]。同年に製作・公開された日本映画『彼岸花』では、監督の小津安二郎が自らの初めてのカラー映画に対し、「アグフアカラー」をチョイス、以降、遺作の『秋刀魚の味』(1963年)までの6作を、アグフアカラーで撮影した[4]

前年の合併によるアグフア・ゲバルト成立を受けて、1965年(昭和40年)には、現社名に改称している[3]

1990年(平成2年)、コパル(現在の日本電産コパル)との合弁会社アグフア・コパル株式会社を設立している[3]。1999年(平成11年)、アグフア・ゲバルトが上場し、日本法人は日本のバイエル・グループから離脱した[3]。それを機に、日本法人の代表が、ウォルター・ストーク(1987年 - 1999年8月)からイングバート・シュミッツ(1999年9月 - )に交代した[5][6]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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