アグネス・ラム
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Agnes Lum
アグネス ラムプロフィール
愛称ラムちゃん
生年月日1956年5月21日
現年齢68歳
出身地 アメリカ合衆国ハワイ州
公称サイズ(1975年時点)
身長 / 体重156 cm / 54 kg
BMI22.2
スリーサイズ90 - 55 - 92 cm
単位系換算

身長 / 体重5 1 / 119 lb
スリーサイズ35 - 22 - 36 in

活動
デビュー1975(日本)
ジャンルグラマー(広告)
モデル内容水着
備考1974年 ミス・ハワイUSA
他の活動歌手・女優
事務所スペースクラフト
外部リンク
データベースIMDb
モデル: テンプレート - カテゴリ

アグネス・ラム(出生名:アグネス・ナラニ・ラム, Agnes Nalani Lum、 1956年5月21日 - )は、1970年代後半に日本で活躍した米国出身のモデル。スペースクラフトに所属していた。あどけない顔に不釣り合いなグラマラスな身体で人気を博し、水着の似合う健康美で「アグネス・ラムフィーバー」を引き起こした。西川りゅうじんによると、日本初のグラビアアイドルである[1]。グラビアアイドルの先駆者と評価するメディアもある[2]
来歴

1956年5月21日、ハワイ州[3]ホノルル[4]生まれ、この地で育つ。父は中国系アメリカ人。母はアメリカ人(イングランド、アイルランド、ポルトガル、ハワイ先住民のルーツを持つ)[5]。姓のラムは、父親の姓「林」の広東語読みである[6]。4人姉妹の末っ子[4]

ホノルルのKalaheo Intermediate Schoolに入学。ホノルル・アドバタイザー(現・ホノルル・スター・アドバタイザー)の記者Rodney Leeは、7年生だった頃、当時9年生のアグネスが学校のチアリーダーのチームで活動していたと証言している。ロドニーによると、アグネスは初恋の人であるが、結局声もかけずに遠くから観察することしかできなかった[7]

ホノルルのカイルア・ハイスクール(Kailua High School)在学中よりモデルとして働き、ハワイで有名になる[8][9]

1974年5月、ミス・ハワイUSA[注釈 1]で優勝するが、主催者サイドが要求する年齢の必要条件を満たしていないとして取り消される[10]

同年、高校卒業後ホノルルのモデルエージェンシーで事務のアルバイトをしていたところを、日本のコーディネーター[注釈 2]にスカウトされ、モデルとして活動を始めた[11]

1975年3月末、初来日。電車で秋葉原に行くが、ハワイでは経験したことのない寒さを、いまも覚えている[12]。この時は小さな仕事しか獲得できなかった。日本に居住して仕事を続けることを大西一興(後のスペースクラフト代表)から説得されたが、寒さとホームシックを理由に断る。ハワイを拠点に活動するという条件で帰国[13]

1975年、グリコ協同乳業(グリコ天然ジュース)と 雑誌『non-no』のモデルに選ばれ日本デビュー。同年11月、ライオン油脂の「エメロン・ミンキー・トリートメント」のCM出演が評判となり、たちまち大人気となった[13]資生堂(アクエア)、コダック(コダックインスタマチック)のCMに出演。6月、初代クラリオンガールに選ばれる[5]。ただし、これについては異論も存在する。『アグネス・ラムのいた時代』という書籍によると、クラリオンガールという用語が正式に使用されるようになったのは1979年(第5代・田中なおみ)以降で、初代から第4代までは『平凡パンチ』とクラリオンの意向により、戦略的判断で後付けのような形でクラリオンガールと呼ばれるようになった[13]

日焼けした小麦色の肌、豊かなバスト(当時巨乳という単語はなかった[14])とヒップの見事な曲線、愛くるしいルックスを持つつぶらな瞳の美少女の写真は一世を風靡し、概ね1976年から1977年にかけて当時の若者の間に「アグネス・ラムフィーバー」が起きた。因みに同じ事務所のアグネス・チャンも当時豊かなバストを持っており、グラビア写真で両者が共演したこともある。

1976年夏、トヨタ自動車トヨタ・スプリンター近藤正臣と共演)、旭化成[15]クラリオンコカ・コーラ象印ミヤタ自転車など9社のCMに出演[16]


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