アクセル・ヴィツェル
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アクセル・ヴィツェル

ベルギー代表でのヴィツェル(2018年)
名前
本名アクセル・トマ・ヴィツェル
Axel Thomas Witsel
ラテン文字Axel Witsel
基本情報
国籍 ベルギー
マルティニーク
生年月日 (1989-01-12) 1989年1月12日(35歳)
出身地リエージュ
身長186cm[1]
体重81kg[1]
選手情報
在籍チーム アトレティコ・マドリード
ポジションMF / DF
背番号20
利き足右足
ユース
2004-2006 スタンダール・リエージュ
クラブ1
年クラブ出場(得点)
2006-2011 スタンダール・リエージュ 148 (34)
2011-2012 SLベンフィカ 32 (1)
2012-2017 ゼニト 106 (15)
2017-2018 天津権健 36 (5)
2018-2022 ボルシア・ドルトムント 105 (10)
2022- アトレティコ・マドリード 33 (0)
代表歴2
2004 ベルギー U-151 (0)
2005 ベルギー U-162 (0)
2005-2006 ベルギー U-1719 (0)
2006-2007 ベルギー U-185 (0)
2006 ベルギー U-193 (0)
2007-2009 ベルギー U-2110 (0)
2008-2022 ベルギー130 (12)
1. 国内リーグ戦に限る。2023年6月11日現在。
2. 2022年11月23日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アクセル・トマ・ヴィツェル(Axel Thomas Witsel, 1989年1月12日 - )は、ベルギーリエージュ出身[2]の元同国代表サッカー選手アトレティコ・マドリード所属。ポジションはMF。本職は守備的ミッドフィールダーだが、右ウイングや左ウイング、センターバックとしてもプレーできる。父親もサッカー選手であり、その父親はマルティニークフランス領の海外県)にルーツを持つ。
クラブ経歴

スタンダール・リエージュの下部組織出身であり、2006年9月17日、FCブリュッセル戦の89分にMFスティーヴン・ドフールとの途中交代で出場してトップチームデビューを果たした。2007-08シーズンはMFマルアン・フェライニやドフールなどとともに平均年齢の若い中盤を形成し、18歳ながら中心選手としてジュピラーリーグ優勝に貢献した。2007-08シーズンのリーグ最優秀若手選手賞を受賞し、2008年夏にはベルギー・スーパーカップを制している。2008-09シーズンにはジュピラーリーグ2連覇を達成し、優勝プレーオフではPKで決勝点を決めている。

2009年8月30日、RSCアンデルレヒトとの試合中にマルチン・ヴァシレフスキに対してタックルを仕掛けたが、タックルが遅れたために足首に当たり、ヴァシレフスキは骨折して全治8ヶ月の重傷を負った[3][4]。主審に対して故意ではなかったと主張したが、ヴィツェルにはレッドカードが提示され、一発退場処分となった。すぐにヴァシレフスキに謝罪したが、RSCアンデルレヒトやポーランド代表のファンの怒りを買い、数多くの脅迫を受けたほか、メディアによる批判の対象となった[5]。11月23日までの出場停止処分が言い渡されたが[6]、後に8試合の出場停止処分に軽減された[7]

2011年7月に、SLベンフィカに5年契約で移籍。

2012年9月3日、FCゼニト・サンクトペテルブルクに完全移籍[8]

2017年1月3日、ゼニトはヴィツェルが天津権健に移籍することでクラブ間合意に至ったと発表した[9]
ドルトムント

2018年8月6日、ボルシア・ドルトムントに4年契約で完全移籍[10]。天津権建に支払った契約解除金は2,000万ユーロにのぼると見られており、ヴィツェルへの給与もチーム内最高額となる年間1,000万ユーロとなった。加入1シーズン目は、負傷により欠場した1試合を除くリーグ戦全33試合に出場し、4得点1アシストという記録を残した[11]。2019年8月3日、DFLスーパーカップFCバイエルン・ミュンヘン戦に先発フル出場し、2-0でバイエルン・ミュンヘンを破ってドルトムント加入後の初タイトルを獲得した[12]。2020-21シーズンのブンデスリーガ第15節RBライプツィヒ戦にて、前半30分に左足のアキレス腱を断裂し、長期離脱を余儀なくされた[13]。直後の診断では復帰に8ヶ月弱要すると見られていたが、懸命なリハビリなどが功を奏しておよそ5ヶ月後にはピッチに戻り、2020-21シーズン終了後に開催されたUEFA EURO 2020にも問題なく出場した[14]
アトレティコ・マドリード

2022年7月6日、アトレティコ・マドリードと1年契約を結んだ[15][16]。チーム加入後はディエゴ・シメオネ監督によってそれまでほとんど未経験であった3バック中央のセンターバックを務めていたが[17][18]、中盤戦にフォーメーションが4バックへと変更されると出場機会が激減した。しかし、シーズン後半戦以降はステファン・サヴィッチの負傷離脱により出場機会が増加し、最終的にリーグ戦33試合に出場した[19]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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