アキラ100%
2017年撮影
本名大橋 彰(おおはし あきら)
ニックネームアキパー侍
生年月日 (1974-08-15) 1974年8月15日(49歳)[1]
出身地 日本 埼玉県秩父市[1]
血液型A型[1]
身長170 cm
言語日本語
最終学歴駿河台大学法学部卒業
コンビ名タンバリン(2005年 - 2010年)
相方新田裕樹(タンバリン時代)
芸風コント
事務所ソニー・ミュージックアーティスツ
活動時期2005年[2] -
同期や団
酒井健太(アルコ&ピース)
三四郎など
配偶者一般人女性(2015年 - )
公式サイトプロフィール
アキラ100%(アキラひゃくパーセント、本名及び俳優としての芸名[3][4]:大橋 彰(おおはし あきら)、1974年(昭和49年)8月15日 - )は、ソニー・ミュージックアーティスツ(SMA NEET Project)に所属する日本のお笑いタレント(ピン芸人)、俳優。R-1ぐらんぷり2017王者。埼玉県秩父市出身。既婚。1児の父。 秩父市立花の木小学校[5]、秩父市立秩父第二中学校、埼玉県立熊谷西高等学校[5][6]、駿河台大学法学部卒業[7]。中学の社会科と高校の公民の教員免許を持っている[8]。 小・中学時代は学級委員や生徒会長を務めるなど、本人曰く真面目な生徒だった[5][9]。高校時代は演劇部[5]、大学時代も小劇団で役者活動をしていた[2]。チャップリンとコメディーが好きで、元々俳優志望だった[2]。 大学卒業後は芸能事務所に就職し[9]、20代の頃は椎名桔平の付き人兼運転手を務めていた[9][10]。しかし当時は何をやっても失敗ばかりの自分に嫌気が差し、置き手紙を残し逃亡する形で事務所から姿を消した。以来、椎名とは20年以上会っていなかった。これを2017年6月25日放送『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)に出演時「本当に謝りたい」と話しており、椎名から番組を通してアキラ宛てに「20年よくがんばったね。本当におめでとう」と夢が叶ったことを祝福する内容の手紙が送られた[11]。 2005年1月、大学時代の同級生だった新田裕樹とコンビ「タンバリン」を結成し、ボケを担当する。タンバリン時代の芸名は大橋 央旺(おおはし あきら)。2010年12月末に解散後、ピン芸人「アキラ100%」として活動。現在の芸名を考案したのは同じ事務所の先輩である渡辺隆(錦鯉)。アキラがピンとしての新しい芸名を思い付けなかった当時、電車でたまたま一緒になった渡辺に「ユースケ・サンタマリアさんのように、本名に何か1語が付いて1つになった名前がいい」と相談したところ、「アキラ100%というのはどうだ」と提案されその後1週間ほど色々考え続けたが、この候補を聞いた時の衝撃は超えられなかったため改めて渡辺の承諾を得て、現在の芸名へと正式に決めた[12][13]。 一方で、ヴィジュアル系ユニット・Daccoにダンサー「アキラ氏」としても参加[14]。 2015年7月23日放送『櫻井有吉アブナイ夜会』(TBSテレビ)で、片岡愛之助が一番会いたい芸人として紹介された[15]。以来愛之助とは親交があり、私設後援会の食事会に招待されたこともあった[16]。 2015年、約7年交際していた同じ年齢の看護師の女性と結婚[12][17]。妻は日本で10人しかいないと言われる小児臓器移植コーディネーター[18]。 2016年のR-1ぐらんぷりにノーシードで1回戦から出場、準決勝まで進出[19]。R-1での準決勝進出はこれが自身初となった[20]。 2017年2月28日のR-1ぐらんぷりで初の決勝進出。Cブロックを勝ち抜き最終決戦まで進出、14票を獲得し優勝を成し遂げた(最年長優勝)[21]。決勝直後の1日だけで、2016年の1年間にやった仕事と同数ほどのオファーが来た[12]。当時はスポーツクラブでのインストラクターのアルバイトをしながら兼業として活動を続けていたため、R-1決勝の前日もバイトに出ていた[12]。芸人としての仕事が増え多忙となったため、バイトは退職した旨を同年5月に明らかにした[22]。 2018年1月1日付で秩父市観光大使に就任[23]。同日現在、秩父市観光大使には藤原竜也、冠二郎、桜井賢(THE ALFEE)、林家たい平、クララ・ボダン
来歴
2020年1月11日放送開始の『トップナイフ-天才脳外科医の条件-』(日本テレビ)にて、地上波ドラマに初めてレギュラー出演[26]。かつて自分が付き人として付いていた椎名とドラマでの初共演を果たす[27]。
2021年4月10日、情報バラエティ番組『あっぱれ!KANAGAWA大行進』(テレビ神奈川)の新MCに就任。 彰という名前は、実母が中尾彬のファンだったため名付けられた。
人物
趣味・特技