アガワム
市
Agawam
チャールズ・レナード船長の家
ハンプデン郡内の位置(赤)
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯42度04分10秒 西経72度36分55秒 / 北緯42.06944度 西経72.61528度 / 42.06944; -72.61528
アガワム(英: Agawam)は、アメリカ合衆国マサチューセッツ州のハンプデン郡にある都市[1]。人口は2万8438人(2010年)。コネチカット川西岸、スプリングフィールドの対岸に位置している。スプリングフィールド都市圏に含まれる。この都市圏はノリッジ・コリダー(知識回廊)に続いており、ニューイングランドでは第2の大都市圏である。市内にはフィーディングヒルズという小区分があり、独自の郵便番号と郵便局を持っている。
アミューズメントパークのシックスフラッグズ・ニューイングラドが、市内のコネチカット川岸にある。
アガワムの郵便番号は 01001 であり、大陸アメリカ合衆国の中では最小の数字となっている。この時アメリカ国税庁のような特殊政府ビルの番号は別扱いである[2]。 コネチカット川の西岸に当初あったインディアンの村がアガワムあるいはアガワナス、アガウォム、オンコワム、イグワム、オーグアムなどと呼ばれていた。「荷を卸す場所」や「魚を保存する場所」など様々にその意味が推測されており、おそらくアガワム滝でカヌーから魚を降ろし、ウェストフィールド川河口の平地で魚を保存加工したことに言及したものである[3]。 同じくマサチューセッツ州の北東部にあるイプスウィッチ町も17世紀の大半でアガワムと呼ばれており、その地域に住んでいたアガワム族インディアンから採られていた。 1636年7月13日、ウィリアム・ピンチョンが地元のポコムタック族インディアンからコネチカット川両岸の土地を購入した。そこはアガワムと呼ばれ、今日のスプリングフィールド、チコピー、ロングメドウ、ウェストスプリングフィールドの町を含んでいた。アガワムの購入に要したのは10着の上着、10丁の鍬、10丁の斧、10振りのナイフ、10ファソムのワムパムだった。アガワムとウェストスプリングフィールドは1757年にスプリングフィールドから分離してスプリングフィールド・パリッシュとなった。1800年アガワムとウェストスプリングフィールドが分裂した。アガワムは1855年5月17日に町として法人化された。 1771年、ジョン・ポーターがアガワムに転入し、その9年後にはジンの醸造所を設立した。ポーターの死後、その孫であるハリーがH・ポーター醸造会社として事業を継続した。この工場は禁酒法時代の1917年に売却された。その工場内で生産されたのはポテトチップスとリンゴジュースになった。禁酒を定めたボルステッド法が撤廃され、工場では再度ジンの生産を始めたが、1938年には完全に閉鎖された。リバー道路に近いメインストリート沿いにあるこの建物はアガワムの公共事業部のガレージとして使われていたが、その後荒廃した。 南北戦争ではアガワムから172名が出征し、その内22名が戦死または戦病死した。 1874年にメインストリートとスクール通りの角に建てられた当初の町役場には、現在もある町政府の部門の他に、最初の町の図書館が建物のタワールームに入っていた。その敷地近くに小さな学校校舎があり、1年生から3年生を教えていた。この建物は1938年に解体され、敷地は現在ベンジャミン・フェルプス小学校のある場所となっている[3]。 1906年に建てられたフィーディングヒルズ町役場は、アガワムの町役場とほとんど同じものであり、スプリングフィールド通りとサウスウェストフィールド通りの角にあった。この建物は1950年に解体され、その敷地は現在クリフォード・M・グランジャー小学校が使っている[3]。 1930年5月29日と1931年6月1日、ボウルズ・アガワム空港が、アメリカ陸軍航空隊東部司令部からの来訪で開港された[4]。
市名の由来
歴史