アカデミック美術
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アレクサンドル・カバネル『ヴィーナスの誕生』(1863年)

アカデミック美術(アカデミック美術、 英語:Academic art )とは、
フランス芸術アカデミーの規範に影響された絵画・画家たちを指す。芸術アカデミーでは新古典主義ならびにロマン主義運動の下で実践され、その2つを統合しようという試みがなされた。それを良く反映しているのが、ウィリアム・アドルフ・ブグロー、マルク・オーレル・ド・フォワ・スゾール=コテ(英語版)、トマ・クチュールハンス・マカルトたちの作品である。この文脈において、アカデミック絵画は「伝統主義」「形式主義」「アール・ポンピエ」、「折衷主義(Eclecticism)」と呼ぶことができ、「歴史主義(Historicism)」「混合主義(Syncretism)」とも関係することがある。

ヨーロッパアカデミーまたは大学の影響を受けて作られた絵画彫刻の様式のこと。この文脈においては、それまでアカデミック絵画と敵対していた絵画が、学者によって受け入れられると、今度はそれがアカデミック絵画になる。

なお絵画以外のアカデミックな芸術(Academic art)についても記す。
目次

1 概要

1.1 美術アカデミーの歴史

1.2 アカデミック様式の発展

1.3 アカデミーの授業

1.4 批判と遺産


2 主要な作家

2.1 フランス

2.2 イギリス

2.3 イタリア

2.4 オーストリア

2.5 オランダ

2.6 スイス

2.7 スペイン

2.8 チェコ

2.9 ドイツ

2.10 ハンガリー

2.11 ベルギー

2.12 ポーランド

2.13 カナダ

2.14 ウルグアイ

2.15 ブラジル

2.16 メキシコ

2.17 インド


3 脚注

4 参考文献

5 外部リンク

概要
美術アカデミーの歴史

最初の美術アカデミーは、1563年ジョルジョ・ヴァザーリフィレンツェに設立した「アカデミア・デッレ・アルティ・デル・ディゼーニョ(Accademia delle Arti del Disegno)」(現フィレンツェ美術学校 Accademia di Belle Arti Firenze)である。そこの学生たちは「arti del disegno」(ヴァザーリの造語。直訳すれば「素描の芸術」)を学び、そこには解剖学幾何学の講義も含まれた。

それより10年ほど遅れてローマに、画家の守護聖人、聖ルカの名にちなんだ「アカデミア・ディ・サン・ルカ」が設立された。こちらは教育的な機能を果たし、フィレンツェのアカデミアより美学理論を大切に考えていた。

1582年には、アンニーバレ・カラッチが自費でボローニャに「Accademia dei Desiderosi」を開いた(続いて1585年頃には「アカデミア・デリ・インカミナーティ」を設立)。いくつかの点で、伝統的な芸術家の工房に似ていたが、カラッチはその当時に魅力のある言葉だった「アカデミア」という看板が必要だと感じてそう名付けた。

アカデミア・ディ・サン・ルカを手本として、1648年にフランスで「王立絵画彫刻アカデミー」が設立された。後の「芸術アカデミー(Academie des Beaux-Arts)」である。フランスのアカデミーは「arti del disegno」を「beaux arts(ボザール)」と翻案したようで、英語の「fine arts(ファインアート)」は「beaux arts」の直訳である。


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